【10/13大会】山口芽生、女子格闘技地位向上へリング外の戦い
山口芽生(V.V Mei)が2007年3月にプロ総合格闘家としてデビューした頃、女子選手が男子選手と平等な扱いを受けることはありえないことだった。
だが時代は変わりつつある。現在36歳となった山口は、10月13日(日)、東京・両国国技館で開かれる格闘技史上最大のイベント、「ONE: CENTURY PART II」でジェニー・ファンと対戦する機会を得た。
一昔前には、女子選手は今のようにチャンスがもらえなかった。女子選手は男子選手と同じように受け入れられ、リスペクトを受けられるよう、もがき苦しんでいたのだ。
「自分が日本で戦い始めた頃には、スマックガールのような女子選手だけが参加するトーナメントやイベントがあった」と、山口は当時を振り返る。
「パンクラスに参戦した時、対戦カード一覧で女子戦より先に試合を組まれていた男子選手が、『なぜ自分の試合順は女子の前なのか』と不満を言っていたことを覚えている」
当時、総合格闘家になることを夢見る女性は存在していた。だが、その道を歩むことを決めた者にとって、競技のレベルは十分に高いものではなかった。
「女子選手はおもしろい試合を見せる必要があった」と山口は言う。
「自分たちのアグレッシブさを見せなければならなかった。女子の試合はおもしろいと言うことを証明しなければならなかった。男子選手の多くが、女子選手をバカにしていたと思う」
「当時は女子選手の数自体も多くなく、技術のレベルは高くなかった。だから大きな身体の男性の試合と比べられてしまうと、魅せることはとても難しかった」
いわば山口は2つの戦いをしていたわけである。リング上の戦いと、女子格闘技を広めるための戦いだ。
世の中への露出がとても低く、トレーニングにかかるコストがファイトマネーよりも高い状況でも、山口は格闘技愛を持って戦い続けた。
「ケガをしている時に試合のオファーが来たら、まずは病院で治療を受けないといけないのだけれど、その治療費がもう、ファイトマネーよりも高かったりしたから!」と山口は述べている。
「あの頃はちょっとどうかしていたかもしれない。もはやお金のために戦っていたわけではなかった。格闘技が好きだから、私の人生そのものだから戦っていたようなものだった」
やがて時がたち、総合格闘技に取り組む女性も増えてくると、山口らのチャンスも広がっていく。
2011年には、山口は男子選手20人を前座に従え、パンクラス史上初めて、女子選手としてメインイベントを飾った。
「女子格闘技の最初のビッグイベントはパンクラスだったと思う。自分はWINDY智美とメインイベントで戦った。WINDYはパンクラスで長年戦ってきたレジェンドだ。その後自分は、(総合格闘技団体のヴァーリ・トゥード・ジャパン)VTJ 1stで藤井恵とも戦った」
「この2つのイベントが自分にとっては転機になった。そしてその頃、世界でも女子格闘技がメインカードやメインイベントで行われるようになり始めた」
山口のがんばりは報われたのである。山口はすでにONEチャンピオンシップでメインイベントを飾ったし、今回の史上最大のイベントにもしっかりと出番を確保している。
山口は、女子格闘技を最前線に押し出し、平田樹といった次世代選手の道を開くのに大きな役割を果たした。しかし山口は、自分はあくまで、尊敬する先達の仕事を引き継いでいるだけだと語っている。
「みなさんにパイオニアと呼んでいただけることは光栄なのだけれど、自分の前にも、女子の総合格闘技を誰も見なかった頃から、諦めずに戦い続けた多くの女子選手がいた」
「わずか50人や60人の観客の前で戦っていた女子選手たちがいる。藤井恵を初めとする、そんな日本で最初に戦い始めた女子選手たちこそ、パイオニアと呼ぶにふさわしい。自分はそんな先達がいてくれたことをとてもうれしく思っている」
「ONE: CENTURY 世紀」は、さまざまな格闘技から28人の世界チャンピオンが参戦する、史上最大の世界選手権格闘技イベントだ。フルスケールの世界選手権格闘技イベント2大会が同日開催されるのも、史上初めてのことである。
複数の世界タイトル戦、世界グランプリチャンピオンシップ決勝戦3試合、そして世界チャンピオン同士の対決をふんだんに取りそろえ、ONEチャンピオンシップが東京の両国国技館で新地平を切り拓く。