“本当に強い日本人女子格闘家”V.V Meiがジョシカクトップに君臨するまで
東京大田区上池台―。時間は、夜8時になろうとしている。普通の暮らしをしていれば、仕事を終えて帰宅し、遅めの夕飯を食べながらテレビでも観ている頃だろう。しかし、和術慧舟會GODS道場の明かりは消えず、プロ選手と、それを目指す選手たちが自分の練習をする貴重な時間がやってくる。屈強な男性たちのなかで、小柄ながら圧倒的な存在感を放つのが、今や日本が世界に誇るジョシカクのトップコンテンダーとなったV.V Meiである。本名は、山口芽生。世界と互角に渡り合う彼女のルーツは幼少期に遡る。
幼少期に問われた自分は何者であるのかという問い
「幼稚園の頃にロサンゼルスに家族で移住しました。英語ができないのに日本人学校ではなく、現地の小学校に入学して、最初は大変でしたよ(笑)」この時期に、Meiはその後の人生に大きな影響を与える2つの経験をすることになる。
「世界には多様なルーツを持っている人がいることを小学生にして初めて知りました。日本とはどういう国かとか私のルーツについてたくさん聞かれ、それに対して答えられない自分が恥ずかしかった。みんな小学生なのに政治に興味を持って、大統領候補のどちらを支持をするかなんて話をしてる。生き抜くためにそういったことを考えていて、とても衝撃を受けました」。小学生にして、Meiは「自分は何者であるのか」と自分に問いかけるようになる。
あまりにも早すぎる母の死
2つ目は母親との別れである。「9歳のときに母親が亡くなってしまいました。人はいつか必ず死ぬということを理解し、そのために後悔しないように生きなくてはと思うようになりました。また、いつか天国で母と再会したとき、恥じない自分でいようといつも思っています」。Meiが世界の舞台で実力を発揮する強さは、幼少期から、日本人にとってあまり縁がない「アイデンティティ」に対する自問を持ったこと、そして侍のように「死」と向き合ってきたことなのかもしれない。
自分らしくいることの大切さ
「その後、小学生で空手を始め、途中からはブラジリアン柔術も取り入れ、MMAの試合に出るようになりました。プロ選手になろうとか、プロである自覚とか最近までなかったですね。ジョシカクはまだ注目されていなかったし、私は常に自分が笑っていられる、幸せでいられる選択をしてきただけです。ただ、DEEP JEWELSフェザー級王座を獲得して、ONEに呼んでもらって、そこで意識は変わったと思います」。
ONEのベルトを狙うMei
心の充実を求めてきたMei。精神的な根がしっかりとしていて、海外で培ってきた広い視野がある。自由に生きているからこそ、彼女は輝いているのであり、そこが女性ファンに影響を与えるところだろう。
「ONEのベルトは必ず獲ります。まずはアトム級を制したい」。Meiの闘いは続く。そして、その闘いは今後もMeiを輝かせるだろう。