【12/4大会】グレゴリアンが偉大なキックボクサーになるまで

Marat Grigorian arms crossed gym 1200X800

マラット・グレゴリアン(アルメニア)の子供時代の夢は、キックボクシングの世界チャンピオンになることだったが、それが不可能に思えた時もあった。

だが、懸命な努力と決意で、困難を乗り越え、グレゴリアンはこの競技最大の栄誉を手にした。

このような成功を収めたグレゴリアンだが、ONEスーパーシリーズでのデビューとなる「ONE: BIG BANG」のイヴァン・コンドラチェフ(ロシア)戦は、史上最高の偉大なアスリートとして自身の地位を固めるステップになると信じている。

激戦区のONEフェザー級キックボクシングで勝てば、この競技の真の伝説になれるからだ。

12月4日(金)のシンガポール・インドア・スタジアムで行われるグレゴリアンのデビュー戦を前に、この記事ではアルメニアの小さな街で生まれた少年が、どのようにして格闘技界のスターになったのかを紹介する。

機会を求め欧州に

グレゴリアンは、アルメニアの首都・エレバンから68キロメートル離れた農村、タリンで生まれた。 

父のサムベルはシェフで、母のアマリヤは美容師だった。グレゴリアンは3人の姉と共に、恵まれた家庭環境で育った。

「タリンは動物もたくさんいて、静かな場所だった。外で長い時間遊べるし。たくさん友達もいて、3人の姉と一緒に遊ぶのが楽しかった」と、グレゴリアンは振り返る。

「自分は末っ子の男の子だったから、いつも面倒を見てくれていたし、家族みんなととても仲が良い。みんなで過ごすのが大好きだ」

安定した家庭環境だったが、グレゴリアンの子供時代は目まぐるしく変化した。両親は子供たちにより多くの機会を与えるため、グレゴリアンが3歳の時にドイツに引っ越したのだ。3年後、家族は元の家に戻ることになったが、それまではうまく行っていた。

「ドイツではいい暮らしができた。みんな幸せだったが、アルメニアに送還されたんだ」

「再びゼロから始めないといけなかったから、悪い状況だった。帰るのは変な感じだった。ドイツで違った生活を送ることに慣れていたから。アルメニアでは、ライフスタイルや考え方が違う。そしてチャンスも少ない」

こうした挫折にもかかわらず、グレゴリアン一家は希望を捨てることはなかった。再び移住を目指し、両親は懸命に働いて資金を貯めた。今度はグレゴリアンが9歳の時にそれが叶った。行き先はベルギーのアントワープだった。

幼い子供連れで異国に定住するのは、簡単なことではなかったが、家族の明るい未来のための選択だった。

「両親は自分たちがヨーロッパに移れるように、ありとあらゆる仕事をした。ここではいい教育が受けられて、いい仕事もあるから」

「引っ越してきた時には、両親は1日に5つか6つの仕事をしていた。時にはお茶とパンだけの食事もあった。でも今は笑顔で思い出せる。だってみんな近くにいてくれて、家族のいい思い出だから。それが自分にとって一番大事なことだった」

キックとの出会い

グレゴリアンは当初、ベルギーの新しい環境に苦労した。

「当時は言葉も話せなくて、誰も自分のことを分かってくれなかったので、友達を作るのが大変だった。自分には姉しかおらず、姉たちといつも喧嘩ばかりしていた」

そこで父親は格闘技を紹介した。当時10歳のグレゴリアンは、ブルース・リーやジャッキー・チェンが出演している映画に夢中で、最初はカンフー学校に入った。だが、定期的に練習するには遠く、月謝も高かった。

だが幸運にも、父親の友人が別の競技を提案してくれた。

「父の友人が、キックボクシングジムがあるからそれがいいだろうと教えてくれた。家から200メートルくらいで、そんなに遠くなかったから、父はそこにした。自分がエネルギーを注げる場所が見つけられて、父は本当に喜んでいた」

映画で見たような格闘技ではなかったが、グレゴリアンはすぐに夢中になった。キックボクシングの挑戦を楽しみ、ジムの仲間意識を通じて友達を作る方法も見つけた。

グレゴリアンは「本当に楽しかった。けれど、最初はトレーナーに嫌われていた。言うことを聞かずに遊んでばかりいたから」と、ジョークを飛ばす。

「だが、もっと集中するようになって、好きになってくれた。チームメイトが近々試合があるって教えてくれた。出られるか分からなかった。驚いたよ。頑張って真面目にトレーニングすれば、試合にも出られるよ、と言われたんだ」

そのことを知ったグレゴリアンはトレーニングに励み、12歳の時に初めてリングに立った。チームメイトと一緒に、勝利を手にする気分は最高だった。以来、グレゴリアンは格闘技を生きがいとすることになった。

「すごく緊張していたのを覚えている。でも、同じ日にジムの親友たちも試合をしていたから、嬉しかった」

「すごくラッキーだった。だって、判定で勝ったから。だからすごくいい経験になって『もっと試合がしたい!』となったんだ。すごく興奮していた。また戦うためにもっとトレーニングしたいって思ったんだ」

「当時は、K-1の世界チャンピオンになることを夢見ていた。世界で一番大きな団体の1つだから。ここまで来れるなんて思ってなかったが、いつも夢見ていた」



最後のチャンス

大志を抱いていたグレゴリアンだったが、思ったよりも成功は遅かった。地元の大会に出場を重ねた後、マッチアップに苦労して、自分の可能性を発揮する前に諦めてしまいそうになったこともある。

最後のチャンスだと思って、国境を超えてオランダ・ブレダにある有名な「Hemmers Gym」でトレーニングをするために、短い旅に出た。

「試合ができなくて本当にガッカリしていた。1年にたった1、2戦しかできなくて、何のためにトレーニングをしているのか、って感じだった」

「試合をして金を稼ぎたかったが、当時のトレーナーは『誰もお前と戦いたくないよ』って言ったんだ。本当にガッカリしたし、ファイトマネーも100ユーロ(約1万2千円)か150ユーロ(約1万8千円)だった」

「ある日、トレーナーからジムを変えないとうまくいかないって言われて、『Hemmers Gym』にトレーニングしに行った。最後のチャンスだと思った。それでうまくいかないなら、諦めて人生を変えようと思った。仕事を見つけるか、何か違うことをね」

「歳をとってきたのに、何もなかった。だから24歳で『Hemmers Gym』にトレーニングに行った

この決断はすぐさま吉と出た。世界的な有名ジムの繋がりによって、大きなオファーが次々と舞い込んできたのだ。

「2週間後、トレーナーから中国で試合があるって言われて本当に嬉しかった」

「何でも受けた。どんな試合でもね。1ヶ月に2、3試合あって、いつもトレーニングして調子を保っていた。怪我して休んでいた時、コーチが『K−1トーナメントに出たいか?』って聞いてきたんだ」

「その言葉が信じられなかった。それが夢だったんだ。『もちろんだ!』って答えたよ」

ベルトを集めて

2015年、グレゴリアンは一晩で3人の敵をノックアウトし、K-1世界グランプリトーナメントの頂点に立った。だが、これで満足することはなかった。

「5週間準備期間があった。狂ったようにトレーニングして、日本に行って優勝したんだ。世界一幸せな気分だったよ」

「本当に最高の気分だったし、もっとキックのベルトが欲しいって思うようになった」

新しいベルトを巻いたグレゴリアンの人気は高まった。2018年の「クルクン・ファイト世界MAXトーナメント」では決勝戦でスーパーボン(タイ)をノックアウトし、2019年には長年のライバルだったシッティチャイ・シッソンピーノン(タイ)を下してGloryライト級世界チャンピオンになった。

そして今、グレゴリアンはこの競技最高の栄誉に挑もうとしている。また、何よりも世界最大の格闘技団体の一級のアスリートたちを相手に戦うのを楽しみにしている。

「ONEには素晴らしいファイターがいるから、世界に自分の力を証明したいというモチベーションになっている」

「もちろん、ベルトが欲しい。だが、ここにいる最高の相手と戦いたいんだ。ここのみんなと戦いたいし、人々の記憶に残るように、頑張りたい」

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