思い出の一戦:秋元皓貴、6年ぶりのキック復帰戦
キックボクシングで19戦無敗の戦績を築きながら20歳で引退した秋元皓貴は2019年1月、6年ぶりの復帰戦に臨んだ。舞台は、フィリピン・マニラで開催されたONEチャンピオンシップの大会「ONE: HERO’S ASCENT」のジョシュ・トナー(オーストラリア)戦だ。
秋元は、2007年に15歳でキックボクサーとしてプロデビュー。伝説的な選手にちなんで“和製ブアカーオ”とも称され、世界ボクシング評議会(WBC)ムエタイ日本フェザー級王者などのタイトルを獲得し、将来を期待されていたが、2014年に空手に転向した。
格闘技はずっと続けていたとはいえ、久々のキックボクシング戦。秋元は様々な不安を抱えながらも、より大きな舞台での成功を夢見て、ONEのケージ「サークル」に足を踏み入れる決心をした。
キックボクシングに戻る決心を固めた時、秋元は全世界フルコンタクト空手道連盟(WFKO) 男子軽量級世界チャンピオンに輝くなど、空手でも快進撃を続けていた。この時描いていた格闘家としてのキャリアは、小学2年生で始めた原点とも言える競技の空手で、2020年に開かれる世界大会で優勝して引退する、というものだった。
完璧に思えた道筋。だが、当時26歳の秋元に迷いが生じた。
「もっと大きな舞台はないのかな、もっと挑戦したい、という気持ちが自分の中に芽生えた」
一旦考え始めると秋元の行動は早かった。2018年8月の空手の国際大会の直後、シンガポールの有名ジム「Evolve MMA」 のトライアウトを受験し合格。10月には日本から拠点を移し、ONEスーパーシリーズ参戦を目指して、本格的にキックボクシングのトレーニングを再開したのだ。
新しい国での再出発。慣れない環境に、言葉の壁。当初は「メンタルはかなりやられていた」という。
現在でこそ家族3人でシンガポールに住んでいるが、当時は1人暮らしでのスタート。秋元は、ちょうどその年の5月に第1子の娘を授かったばかりだった。
「生後半年くらいで離れちゃったので、結構寂しかった 」
一方、トレーニング環境には恵まれていた。「Evolve」は、世界から多数のチャンピオンが集まるメガジム。秋元はすぐに異国のジムに馴染み「トレーニング自体に不安はなかった」と強調する。
シンガポールに移って2ヶ月、12月に待ちに待ったONEからの出場オファーを受けた。いつでも試合に出られるように「最初の頃からハードにトレーニングはしていた」のだ。
だが試合準備が始まってみれば、戸惑うことも多かった。フルコンタクト空手では禁止されている顔面への攻撃が、キックボクシングでは可能。ルールへの再順応に苦労した。
「体自体は出来上がっていたけれども、キックボクシングには完全には移ってないという感じだった」
「距離感が違う。顔面(攻撃)がありとなしでは距離が違うので、攻撃の感覚が鈍っていた。(ディフェンスでも)顔面のパンチがないと、空手だと胸より下くらいに手があるので、無意識に下がってしまうというのがあった」
試合前は「不安だった」と明かす。だが長年の格闘技経験に基づき、いつも通りの気持ちの作り方で追い込みを続けた。
「トレーナーやジムのみんなが大丈夫と言ってくれていたが、本当に大丈夫かな、と思いながら準備して、やれることをやろうと思って臨んだ」
「日本にいた時も、空手やキックボクシングをやっていた時もみんな簡単に大丈夫っていうけれど、僕は全然信じていなかった。どんな時も。自分で納得できるまでやる、っていうのが自分のスタイルなので」
秋元はその言葉通り「準備は万全だと思っていた」 段階まで仕上げて試合会場に入った。
日本から駆けつけた母親と妻、娘が見守る中、6年ぶりのキックボクシング戦のゴングが鳴った。
序盤、秋元はトナーに左ミドルを食らわせ早速ダウンを奪ってリード。だが試合開始後約2分、トナーの右フックを顔に被弾し、ダウンを奪い返されてしまった。
秋元のキックボクシングのキャリアで初のダウンだった。
「焦った。そこで恐怖心が湧いてきた」。秋元はその時の衝撃を振り返る。
「いろいろ悪かった要素があった。距離感もあまり掴めてないというのを感じたし、入り方も悪かった」
「入場する時は、自分のルーティーンというか、試合前に自分で気分を高めていく。本来、人と争うのは好きじゃない性格なので、そのまま入ると試合に集中できない。この時は落ち着いて入ったら、立ち上がりが悪かったという感じだったと思う」
第2ラウンド、秋元は気持ちを切り替えた。
「2ラウンド目は距離や攻撃、ディフェンスを確認する作業をした。今回が最後(の機会)でもないし、始まったばかりだったから」
「最終ラウンドはやるしかない、という感じでガンガン攻めて行った 」
試合が終わってみれば、3回ダウンを奪って圧倒。秋元はユナニマス判定で、キックボクシングで通算20勝目を手にしたのだった。
6年ぶりの復帰戦で、節目の勝利。新しい国に順応しながらのトレーニングに加えて、初めてのオープンフィンガーグローブ戦で、場所は慣れ親しんだリングではなく、ケージという初めて尽くしの条件の中で掴み取った白星だった。
だが、高い目標を掲げる秋元は「課題ばっかりが見えた試合だった」と、慢心することはなかった。
「試合に勝ったということよりも、しっかり調整したと思っていたことができていなかった、ということの方が大きくて、嬉しいとか、喜びはなかった」
秋元はこの試合から得た反省を生かし、今も成長を続けている。
世界最大の格闘技団体は強豪揃い。 2019年3月、東京・両国国技館で開かれた「ONE: A NEW ERA 新時代 」のジョセフ・ラシリ(イタリア)戦で無配記録はストップした。
「(ラシリ戦で)ダウンをもらって負けたが、その試合からディフェンスなどに重点を置いてやってきて、今はその時に比べてだいぶん良くなっていると思う」
その言葉通り、秋元は2019年7月の「ONE: MASTERS OF DESTINY 」で、 ケニー・ズィー(オーストラリア)を下しONE2勝目を挙げた。
キックボクサーとしての将来を嘱望された10代、空手家として頂点まで上り詰めた20代。秋元は格闘家としての全経験を生かし、ONEでさらなる挑戦を続けていきたいと思っている。
「空手をしっかりやっていたので、空手の強さを見せていけるような選手になりたい。空手だと一番独特なのが、ローキックだと思う。キックボクシングでもムエタイでもMMAでも、ローキックはあるが、空手では種類が豊富。いろんな種類のローキックを見せていけば、見ている人も楽しめるんじゃないかと思う」
「これからは空手の良さを出していけるように成長して、ONEの会場を盛り上げられるような選手になりたいと思っているので、これからも応援よろしくお願いします」
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