思い出の一戦:猿田洋祐、飛躍の契機ONEデビュー戦
元ONEストロー級世界チャンピオンの猿田洋祐は2018年11月、自身の格闘技キャリアを大きく変える決断を下した。2週間後に迫ったONEチャンピオンシップの大会へ初参戦を決めたのだ。
デビュー戦となったのは、その年の12月のマレーシア・クアラルンプールで開かれた「ONE: DESTINY OF CHAMPIONS 」。準備期間は限られ、しかも怪我からの回復直後。不安材料は山積みだったが、舞台は世界最大の格闘技団体で、しかも相手は元ONE世界チャンピオンのアレックス・シウバ(ブラジル)という最高の条件が整っていた。
猿田は巡ってきたチャンスを恐れずにつかみ取り、ユナニマス判定で勝利。世界の舞台へ飛躍する第一歩を踏み出したのだった。
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Posted by ONE Championship on Sunday, October 6, 2019
「普通なら2週間前で断るような試合だと思う。けれども、相手が元チャンピオンで、舞台がONEだったので出場を決めた」と、猿田は出場を決めた動機を振り返る。
だが、試合前には不安もあった。
「その年は試合がないかなと思っていた。その前の7月に修斗の試合していて眼窩底骨折という怪我をしていて、次の年に向けて頑張ろうと思っていた」
準備期間も不足に加え、短期間での減量、ONE独自の尿比重チェックやルールへの適応。やることは山ほどあった。
「2週間前で5キロくらい落とした。食事は日本から持参して、クアラルンプールでは、フルーツくらいしか現地のものを食べなかった」
「尿比重の検査もやったことがないので、大丈夫なのかどうかという不安があった。体重は体重計で量ればわかるが、尿は分からないから」
10年以上日本の格闘シーンで活躍し、2017年には修斗ストロー級世界チャンピオンになった経験豊富な猿田は「ほとんど試合で緊張しない」という。
だが、そんな猿田にしては珍しく、試合前に気が立った瞬間もあったという。
「ストレスが溜まっていんだと思う。アップ中にセコンドと多少喧嘩した思い出がある。(セコンドは)全然悪い人とかではないのに。自分も、初めての海外の試合で多少ピリピリしている部分もあったのかもしれない」
ONE参戦以前、猿田は2012年に米国で開かれた国際ブラジリアン柔術連盟( IBJJF )の世界選手権に出場し、茶帯ルースター級で準優勝するなどの経験はあった。だが、ONEデビュー戦が総合格闘技では初めての国外試合だった。
それでもいったん試合が始まれば、そこはいつも通りの猿田だった。ブラジリアン柔術の黒帯のシウバに得意のアームバーを仕掛けられそうになり「怖いと思った」瞬間もあったが、猿田は優勢に試合を進めた。
「自分の実力を証明したいという気持ちでやった。世界のトップはどのくらいのレベルなんだろうな、と挑戦するイメージで臨んだ 」
「自分らしさや強みは出せたと思う。スクランブルでぐしゃぐしゃになった時に必ず取るとか。寝技だけじゃなくって打撃もやって。本当はフィニッシュを狙いたかったけれども、他はいつも通りにできた」
試合終了と同時に猿田はマットに倒れ込んだ。
「いつもはあんなに倒れたりはしないが、2週間前オファーで一番嫌だなと思っていたのが、スタミナの部分。いつも1ヶ月以上かけてスタミナを強化して試合に臨むのに。その部分が心配で、最後までやり切った、疲れた!という感じだった」
短期間での準備、慣れない環境、様々な困難を乗り越えて掴み取った白星。猿田がほっとしたのには、他の理由もあったかもしれない。
実は、猿田は新婚旅行をキャンセルして大会に出場していた。妻とは2016年6月に結婚したが、試合続きでなかなか時間が取れなかった中、やっとシンガポール旅行を企画。旅費の払い込みまで済ませた後、試合のオファーが飛び込んできた。
だが、猿田の一番の応援者である妻は、怒るどころか、支援を惜しまなかった。
「怒ることもなかった。自分は何を言われてもやるタイプなので、色々わがまま言って勝手にやってきたので、またか、という感じだったのでは」と、猿田は妻の心境を思いやる。
「奥さんは英語ができるので、2週間の準備期間で試合に望めたのは、全部奥さんのおかげ。契約書も全部英語だし、それも全部やってもらってすごく助かった」
会場まで応援に駆けつけた妻は「しっかり結果を残したので、喜んでくれた」という。猿田は、2人きりの旅行を改めて計画するつもりでいる。
「現役でやっているうちはいつ試合が来るかわからないし、旅行もなかなか行けないので、引退したら好きなところに連れて行こうと思っている」
デビュー戦から約1年半、猿田はこれまでにONEで4戦をこなし、元ストロー級チャンピオンのジョシュア・パシオ(フィリピン)と2度のタイトルマッチを行った。それでもこの初試合が「印象に残っている」という。
「そこからいい流れでタイトル戦まで行けた。シウバ選手に判定ではあるが、圧倒して勝てたので、すぐにパシオ戦が1ヶ月後(ONE: ETERNAL GLORY)に決まった。シウバ戦がなかったら、パシオ戦もなかったと思う」
ONEでの初試合の後、猿田は自身のSNSに英語で投稿をし始めた。
「奥さんに聞いたり、教えてもらったりしながら。自分で調べたり。本当に簡単に英語だが、自分でやるようにしている」
「今ではインスタグラムのフォロワーも半分以上が海外の人なので、そういう人に向けてメッセージを送るなら、英語で書かないと伝わらないという思いがあった」
ONE公式ランキングのストロー級1位に選ばれ、世界のトップ選手としての地位を確立した猿田。世界中のファンからの応援を受けて、SNSを通じて活発な交流を始め、今やYouTubeチャンネルを持つまでになった。
「あの試合で結構海外を意識したというか。それまでSNSも苦手な分野だった。自分から発信するのは、試合前に告知するくらい。考え方が違った。試合で勝って、強ければいいと思っていた」
「ONEに入って、日本だけじゃなく世界の人が応援してくれるようになった。色々日々の生活や自分がやっていることを発信できたら、喜んでくれるかなという思いもあって、がんばってやっている」
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