ミャンマーの英雄、アウンラ・ンサンのこれまで

Global Citizen Aung La CSR 37

アウンラ・ンサン(ミャンマー)はONEチャンピオンシップでの素晴らしい活躍により、母国で最も偉大なアスリートになるとともに世界の憧れの的となった。

ONEミドル級とライト級世界チャンピオンのベルトを手にしたことで、34歳のアウンラ・ンサンは世界中の格闘技ファンの尊敬を浴び、頂上へのその長い道のりは自国の同胞のインスピレーションとなった。

これまで多くの逆境に立ち向かい、とてつもない精神力で乗り越えてこなければならなかったアウンラ・ンサンの半生を振り返る。

ミャンマーでの子ども時代

Aung La N Sang and parents 26.jpg

アウンラ・ンサンの家族は、ミッチーナからミャンマー最大の都市ヤンゴンに移住した。兄弟たちがヤンゴン・インターナショナル・スクールに通うためだ。父はヒスイ商人として働き、一家を支えた。

アウンラ・ンサンは学校で非常に優秀な成績を収め、スポーツに打ち込み、いくつかの競技で代表チームに参加した。だが、自校のチームには近隣の国の代表チームに勝つ力がないことに失望した。

「サッカーでも、バレーボールでも、バスケットボールでも、試合に出ればうちの学校の負けだった」と、アウンラ・ンサンは語る。

「ほとんどのスポーツで負けていることに腹が立った。悲しかったんだ。コーチも良くなかったのだと思う。自分たちは筋力についてもコンディショニングについても何も知らなかった」

アウンラ・ンサンは卒業後、アメリカに留学しようと考えていた。そして、将来はミャンマーに戻り、若い世代の暮らしを向上させるために働きたいと思っていた。

「(コーチに関しては)ミャンマーと他の国との間には大きなレベルの差がある。自分が生きているうちにその差を埋めることができたらと願っている」

米国に留学

Aung La N Sang IMG_9949.jpg

2003年、アウンラ・ンサンは、アメリカ・ミシガン州ベリンスプリングスにあるアンドリュース大学で農業を学ぶためにミャンマーを離れた。アメリカでは勉強に打ち込んだが、1年後、新たな情熱の対象に出会う。キャンパスのジムでサモア人のクラスメイトが重いサンドバッグにパンチを打ち込んでいるのを見つけたのだ。

興味を惹かれたアウンラ・ンサンは、その日のうちにクラスメイトと親しくなり、そこから格闘家としての人生が始まった。

「彼はインディアナ州サウスベンドにある(カーウソン)グレイシー系のジムに連れて行ってくれた。キャンパスから南に車で45分ほど行ったところだった」

「それをきっかけにブラジリアン柔術のトレーニングを始め、夢中になって、最後には格闘技そのものに恋をした」

週に数回はジムに足を運び続け、2005年5月には総合格闘家としてライト級でプロデビューを果たした。

初試合では自分よりも体格が良い相手に、第1ラウンド半ばでのTKO負けだった。アウンラ・ンサンの腫れあがった頬を見たドクターからストップがかかったのだ。敗北はしたが、新しい競技で戦うことへの情熱は増すばかりだった。

「格闘技が本当に好きになったんだ。あの興奮と、スリル。すっかりハマってしまった」

「もっとトレーニングをしてうまくなりたいと思い続けた。また試合のチャンスがあると言われた時には、『もちろん、出ます』と即答したよ」

安定した職を辞し

本来の階級であるミドル級で試合に出場し始めたアウンラ・ンサンは、次の5試合すべてに第1ラウンドで勝利した。その間も、大学卒業のために勉強を続け、キャンパスの近くの酪農場で働いて収入を得た。

2007年に大学を卒業すると、メリーランド州コロンビアに引っ越し、姉と同居しながら安定した仕事を探すことにした。そこでもバルチモアのジム、「Crazy 88 MMA」にトレーニングに通い始めた。だが、メリーランドで過ごした時間は短かった。2ヶ月後には、フロリダで移動型の養蜂場のスタッフとして働くことが決まったのだ。

1年半ほどその生活を続け、昼間の仕事が試合に出る際にパフォーマンスに悪影響を与えていること、それがストレスになっていることに気がついた。

最終的に、安定したフルタイムの仕事を辞め、格闘技の世界王者になる夢を追うことを決めた。そこで、メリーランドに戻り、再び「Crazy 88 MMA」でトレーニングを始めた。トレーニングに集中することができるようになり、試合に次々と勝つようになった。

「自分がやった分だけ返ってくるんだ。努力をしなければ、得られるものもない」

世界チャンピオンへの道

プロとしての記録を更新し続け、15勝を重ねたアウンラ・ンサンがONEに参戦し、ファンに大きな印象を残したのは2014年だった。最初の4試合を連勝し、瞬く間にONEミドル級世界タイトルへの挑戦権を手にしたのだ。

長年のライバル、ビタリー・ビグダッシュ(ロシア)との初戦は2017年1月、わずか2週間の準備期間しかないまま試合に臨んで敗北した。だが、5ヶ月後、フルでトレーニングキャンプに参加した後の再戦で勝利し、故郷ヤンゴンでONEミドル級世界王者のベルトを手にした。

その時の試合は2017年のベストマッチに選ばれた。そしてもっと重要なことに、それが、初のミャンマー出身の世界チャンピオンが誕生した瞬間だった。

「現実とは思えなかった。これまでの人生のすべてを賭けて目指してきた夢が故郷のファンの目の前でかなったんだ」と、振り返る。

「心から驚いたし、嬉しかった。祝福されていると感じたよ。自分が生まれ環境はとても質素だ。ミャンマーの小さな町で生まれ育って、世界チャンピオンになれたことは信じられないし、とても名誉なことだ」

成功はそこでは終わらなかった。フロリダに戻り「Hard Knocks 365」でハリー・ホーフトとトレーニングを始めたことで、2018年は素晴らしいパフォーマンスを見せ、ONEライトヘビー級世界タイトルを獲得し、ミドル級の世界ベルトを2度防衛した。そこには2018年のベストマッチとベストKOを獲得した長谷川賢との試合も含まれる。

昨年開催されたONE史上最大のイベントでもは連勝を続け、ONEヘビー級世界王者ブランドン・ベラ戦では鮮やかなノックアウト勝ちを決めた。

ONE参戦以来、ミャンマーの誇りとして称えられてきたアウンラ・ンサンは、同胞のためにその立場を使い、慈善活動を支援し、人々の模範になろうとしてきた。

「故郷の街やミャンマーの人々を勇気づけることができると思う。自分でそう選び、心を決めて努力をし続ければ、世界のトップで成功を手にできるとみんなに知ってほしい」

「スポーツ界のロールモデルとして、全力で良い戦いを見せることで国全体に勇気を与えられる。これまでミャンマー出身のアスリートが世界レベルで戦ったことはなかった。とても名誉で心から誇りに思うし、これからも頑張ろうと思える」

Read more: ビタリー・ビグダシュ、極真空手が導いた格闘技人生

特集をもっと見る

Ayaka Miura Macarena Aragon ONE 169 41
Cole3
Reinier de Ridder Anatoly Malykhin ONE 166 9 scaled
Reinier de Ridder Anatoly Malykhin ONE 166 20
Phetjeeja Anissa Meksen ONE Friday Fights 46 45 scaled
Shinji Suzuki Han Zi Hao ONE 166 5 scaled
Regian Eersel Alexis Nicolas ONE Fight Night 21 37
Soe Lin Oo Fabio Reis ONE Friday Fights 57 41
Superlek Kiatmoo9 Takeru Segawa ONE 165 15 scaled
Jaising Sitnayokpunsak Thant Zin ONE Friday Fights 52 3 scaled
Jonathan Haggerty Felipe Lobo ONE Fight Night 19 122 scaled
Sanzhar Zakirov Ryosuke Honda ONE Friday Fights 54 10