【10/25大会】ジョニー・ヌネス、格闘技が拓いた人生とミーシャ・テイトとの出会い

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困難に直面した時、ジョニー・ヌネス(米国)を救ったのは、格闘技だった。

34歳のヌネスは、10月25日(金)の「ONE:DAWN OF VALOR」でONEチャンピオンシップでのデビュー戦を迎える。対戦相手は、パンクラスライト級世界王者の徳留一樹だ。

インドネシア・ジャカルタでの初戦を前に、ヌネスが生まれ育った米国での思い出や、現在の“ホーム”であるアジアでの暮らしなど、来歴を振り返る。

不遇だった幼少期

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ヌネスは米国・カリフォルニア州生まれ。父親は、大都市ロサンゼルスで祖母の助けを借り、3人の兄弟を育てた。

10歳でヌネスは家族とアイダホ州の小さな町に移る。父親が新しいパートナーと一緒に住むためだった。若きヌネスは、当初は転居を苦々しく思っていたが、今振り返ってみれば、大都市での様々な問題から自分を遠ざけるいい機会だったと言う。

だが、アイダホの田舎での暮らしも簡単ではなかった。父親のパートナーの女性との関係で、家庭環境は決して恵まれいるとはいえなかった。

「継母は、肉体的にも精神的にも虐待傾向がある人だった。父の子供が3人いるというのが気に入らなかったんだ」

学校では、反抗的な性格も手伝って、ロサンゼルスから来たタフガイというイメージを振り払うのに苦労し、問題に巻き込まれた。

「いわゆるいい子ではなかった。学校では問題に巻き込まれて、たまに停学も食らった」

レスリングに活路

アイダホでの人気スポーツはアメリカンフットボールだった。ヌネスも高校時代を通じて競技に励み、やがて大学でもプレーすることを夢見るようになる。だが、素行の悪さが祟り、チームから除外されてしまった。

他に情熱を傾けられるものを探した時に、出会ったのがレスリングだった。

「喧嘩もしていたから自分はタフな子供と思っていた。それじゃあレスリングでも試してみようと思ったら、楽しかったんだ」

「新入生の時、コーチが遠征に招待してくれた。そうしたらチームメイトが州の選手権で優勝する瞬間に立ち会えた。その瞬間、視界がひらけた。自分は何かで成功できる、そして、それはレスリングだって」

2年生になったヌネスは、州のレスリング大会の決勝戦で1ポイント差で負けた。だが、この経験にもへこたれず、より献身的な練習をするようになった。

「本当にがっかりした。勝利は目前だったから。だが、今思えばあれは得難い経験だった。あの経験がなければ、モチベーションも高まらず、次の年の成功もなかっただろうから」

「次の年は、テイクダウンを一切許さなかった。無敗で決勝戦に進出し優勝したんだ。素晴らしい年になったよ」

最終的にヌネスは州のタイトルを2つ獲得し、米国中の大学からスポーツ奨学金付きの入学オファーが舞い込んだ。その中から、家族のそばにいるため、地元のボイシ州立大学を選んだ。

ボイシ州立大学の運動部は「ブロンコス」の愛称で親しまれ、レスリングの優れた選手を多数輩出した。その中には、米国の総合格闘技団体で活躍したジェンス・パルヴァーやスコット・ヨルゲンセンらもいる。こうした先達に刺激を受け、ヌネスはブラジリアン柔術のトレーニングもはじめ、総合格闘家への道を歩み始めた。

2人のコーチの死

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大学卒業後、ヌネスは大学時代のレスリングのコーチの後を追い、格闘技のメッカとも言われるラスベガスに移る。

当初は「Tapout Training Center」というジムに所属。仕事を掛け持ちしながら、ジムのソファで寝泊りをし、プロデビューを目指した。

格闘技の名コーチと言われたショーン・トンプキンスと出会い、アマチュア大会の最初の数試合でセコンドについてもらう機会に恵まれた。だが、トンプキンスは2011年、37歳の若さで心臓発作で急逝してしまう。

「あまりに深い悲しみにどうしたらいいかわからなかった。だが、ショーン(トンプキンス)はきっと、自分には格闘技を続けてほしいだろうと思ったんだ」

ヌネスを襲った悲劇はこれだけではなかった。数年後、「Xtreme Couture」に移籍したが、2017年にジムのヘッドコーチだったロバート・フォリスが自死。他の所属選手とともにメンターを失った悲しみに耐えなければならなかった。

ヌネスにとって、再び精神的支柱を失った体験は辛いものだった。プロのアスリートとしてハードなトレーニングが必要な時期にはなおさらだ。だが、恩師が教えてくれたことをやり続けることが、ヌネスなりの追悼の仕方でもあった。

家族と海を越え

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7勝1敗の戦績を複数の米国の有名格闘技団体で築き上げた後、私生活で転機が訪れた。女子格闘技界のパイオニアである、ミーシャ・テイトと結婚。昨年娘のアマイアも生まれた。

「もし9時5時の普通の仕事をしていたら、ミーシャ(テイト)にもアマイアにも出会えなかっただろう」

「2人にはとても感謝している。今の自分があるのは、格闘技のおかげだ」と、格闘家としてのキャリアを選んだことに後悔はないというヌネスは語った。

アマイアが生まれてすぐ、テイトのONE副社長就任を機に家族でシンガポールに引っ越した。そこで、名門ジム「Evolve MMA」のトライアウトを受け、総合力を評価されて合格。数々の世界チャンピオンとともにトレーニングに励み、スキルを磨く日々を送っている。

愛する家族と新しい土地での生活に慣れてきた今、ヌネスは「格闘技の本拠地」であるONEでの成功への一歩を踏み出そうとしている。

「ここで学んだことを生かして、新しいことに挑戦できることを本当に嬉しく思っている」

「家族とゆったりした時間を過ごして、シンガポールでONEに参戦するという可能性を見出した。素晴らしいチャンスだと思っている」

ジャカルタ | 10月25日 (金) | 19時(日本時間) | 中継:ONEチャンピオンシップ公式アプリで生中継(無料)

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