【8/21大会】日本女子初立ち技参戦、Little Tigerのこれまで
ムエタイの世界王者に6度輝いたLittle Tiger(宮内彩香)が、待ちに待ったONEチャンピオンシップの本戦デビューを迎える。日本女子選手が立ち技シリーズの「ONEシリーズスーパーシリーズ」に出場するのは初。
Little Tigerは、東京都台東区生まれの37歳。初代タイガーマスクの佐山聡の愛弟子として24歳でキックボクシングでプロデビューし、2011年にムエタイに転向。現在はタイを拠点にしている。
身長157センチメートル、通常体重は47キロ。小柄な体型ながら溢れる闘争心と自律の精神により夢の舞台にたどり着いたLittle Tiger。8月21日(金)の「ONE: NO SURRENDER III 」のマリー・ルーメット(エストニア)との対戦を前に、これまでの道のりを振り返る。
運動神経抜群
Little Tigerは、浅草で寿司店を経営する両親の下に3人姉妹の長女として生まれた。「男の子に混じってサッカーや野球をしていた」という活発な子供だった。
最初に格闘技に触れたのは4歳の時。格闘家との交流が多かった父親に連れられて、寸止め空手の道場に入門した。
幼いLittle Tigerの闘争本能はそこで満足しなかったのか「なんで寸止めするのか分からなくて」その後極真空手に。全国大会で男子に混じって全国大会で3位に入るまでになった。
だが、中学に入る頃、格闘技とは一旦距離を置くことになる。
「早く(空手を)やめたいと思っていた。練習も厳しかったし、父親にやらされている感じがした」
黒帯をとったらやめてもいい、という父親との約束を果たした後、道場を去った。
中学・高校ではバスケットボールやバレーボールの部活に所属しながら、水泳や陸上で学校の代表に選ばれるなど、様々なスポーツで活躍した。
再び格闘技に触れたのは、高校生の時。空手経験を見込まれ、空手の道着を着て行うキックボクシングルールの大会に出ることに。両親の寿司店の常連だった、伝説的キックボクサーの藤原敏男の誘いがきっかけだった。
「なんで私が? また(格闘技を)やるの?という感じだったが、藤原先生に言われたら断れない。『キックの神様』と言われている方なので」
久々の試合にもかかわらず、持ち前の運動神経のおかげか、藤原のジムでわずか1週間前から練習しただけで表彰台に立った。だが、本格的に格闘技に復帰しようと言う気は起こらなかったと言う。
「1週間でこれだけできれば、先生に言われた義理は果たしたかなと思って、全く続けようとは思わなかった」
「虎」の目覚め
眠っていたLittle Tigerの闘争本能が目覚めたのは2007年5月、24歳の時だった。高校卒業後歯科助手として働いていた時、同僚に誘われてボクササイズを試してみた。だが、どうせやるなら本格的に、とキックボクシングジムに行くことにしたのだ。
「運動は好きだった。社会人になると運動する機会は自分でつくらないとない。ただ健康のためにやろうと思っていた」
「本当はプロになるつもりはなかった」というが、Little Tigerの資質を周囲が放っておくはずはなかった。入門したばかりのジムで勧められて、8月にアマチュアの大会に出場することになったのだ。
だが、昔の試合のように簡単にはいかなかった。
「体格が1、2回り違った相手に、体重差で押し負けて、2回戦で負けちゃって。それが悔しくて」
「同じ体重だったら絶対負けない」。負けん気が強いと自認するLittle Tigerは、プロデビューを決めた。
プロデビューに際して父親は反対した。寿司店の客の佐山に「こいつ女なのにキックボクシングをやろうとしてるんですよ、なんとか言ってください、佐山先生」と、助けを乞うたくらいだ。
佐山は止めるどころか「教えてあげるから、僕のところに来なさい」と、返答。Little Tigerを愛弟子とし、週に2度3時間にわたる個人指導を行った。「初代タイガーマスク」の申し出とあっては、父親も引き下がるしかなかった。
師の佐山はあらゆる格闘技に通じていたが、教え方は基本重視。
「空手の蹴りと、ムエタイやキックボクシングの蹴りは違うので、佐山先生にはそこの修正をお願いしていた。佐山先生は基本ができれば全部できると言う方針で、ミドルキックを1時間くらいずっと蹴っていたこともあった」
キックボクシングのトレーニングを始めて5ヶ月後。佐山に許可を得て「タイガー」を使ったリングネームを付け、職を辞して挑んだプロデビュー戦を白星で飾った。
タイに渡って
デビュー直後の試合では、予想だにしなかった事態が訪れた。
その試合は、ムエタイルールで行われた。キックボクシングでは許可されていないクリンチ(首相撲)が存在するなど、ルールの違いがあるが、Little Tigerがそれを知らされたのは試合開始直前だった。
「試合の10分前くらいに、首相撲をやられたらこうやるんだって教えられてそのまま(試合に出た)。ムエタイはやったことないのに、どうすればいいのかわからなくって」
結局その時は、首相撲で負けてしまった。それがLittle Tigerのムエタイ初試合だった。
苦いムエタイとの出会いとなったが、試合を重ね、経験を積むうち、だんだん傾倒していった。
「ムエタイの方が自分に合っていると思って。ムエタイの方が華麗な戦い方なので。だからムエタイを選んだ」
自主練を重ねた後、ムエタイを専門とするジムに入り、2011年にムエタイ一本でやっていく決意をする。だが、日本のトレーニング環境は理想的とは言えなかった。
「女性も男性も同じような体格のトレーニング相手がいない」
「ムエタイをもっと知りたいと思って、タイに行くしかないと思って」
2013年には初めてタイに武者修行に。2016年に本格的に拠点を移した。
「タイ人にはなれないけれども、同じような生活をすればタイ人の強さの秘密がわかるかなと思って」
ムエタイのみならず、貪欲にタイの文化を吸収した。タイ語も独学し、今では「今ではタイ人に間違われるくらい」のレベルだ。
極め付けは、2016年7月の出家経験。タイでは仏教徒の男性が一時的に寺院で修行をするのは一般的だが「大人の女子はなかなかいない」という。
「自分くらいだと思う。全部髪の毛を剃って2週間お寺にこもって尼として修行をした」
極端な行動のように見えるが、その背景にはLittle Tigerの規律を重んじる姿勢が透けて見える。
「自分はやろうと思ったら極めたくなるタイプ。やるからには1番にならないと意味がない。みんなと同じことをやっていたら上にはいけない」
「みんながやらないこと、できないことをやって、こういうこともできるんだよ、という道標を作りたい。みんなもできると思う。タイに来て練習環境を作るのは誰でもできると思うけれども、やるかやらないか。ただ、自分はそれをやっただけ」
ONEの舞台へ
2012年に世界ムエタイ評議会(WMC)&世界プロムエタイ連盟(WPMF)世界女子ミニフライ級ダブルタイトルを獲得したのを皮切りに、6度世界の頂点に立った。
遅めのスタートにも関わらず、輝かしい実績を打ち立てられた理由を「人に言うことでもないし、自分の中で知っていればいいことなのだが」と、前置きした上で明かす。
「もともとの才能だけではここまでは出来ない。もちろん、ムエタイも好きだし、努力も人一倍やってきたし、みんなが練習をしない時にしていた」
そして、Little Tigerがタイに移って掲げた目標は、世界最大格闘技団体であるONEの本戦出場だった。
「ONEはここ2、3年ですごく盛り上がってきた。もともと海外で試合がしたいと思っていたので、海外の大きい舞台はどこかなあ、と考えた時にONEだなと思って」
「立ち技の日本女子は自分が初めてだと思う。最終的には自分はそこを目指していたので」
2019年10月、東京であったONEの人材育成・発掘のための大会「ONEウォリアーシリーズ(OWS)」に出場。そしてついに今回目標としていた本戦にたどり着いた。
そして今、Little TigerはONE初戦の日を心待ちにしている。
「2年間、ONEを追いかけて、タイでずっと練習し続けてきて、やっとたどり着けた」
「ONEの中でも小柄だと思う。小さいけど、やればできると言うところを見てほしい」
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