キック王者アラヴァディ・ラマザノフのこれまで
アラヴァディ・ラマザノフ(ロシア)がONEスーパーシリーズに乗り込んできた時、彼はすぐに本大会で最もエキサイティングな選手の1人と見なされるようになった。だが今や、ラマザノフは最強選手の1人だ。
2019年12月、ラマザノフはONEチャンピオンシップの世界王者に輝き、世界トップのバンタム級キックボクサーになった。ロシアの共和国、ダゲスタンでの慎ましい暮らしから這い上がり、過酷なムエタイの世界でもがいて、たどり着いた頂点だ。
今やONEチャンピオンシップのナンバーワンとしての地位に納まるラマザノフが、これまでの人生を振り返る。
ダゲスタンでの子ども時代
ラマザノフはロシア・ダゲスタンのキズリャルで生まれた。4人の姉妹と共に育ち、のどかな子ども時代を過ごした。ラマザノフはめったに家の中で落ち着いて座っていることはなく、いつも外で遊んでいたと言う。
「母は自分を家に留めておくことはできなかった。いつも逃げ出そうとしたから」
「自分は路上で、友達と遊びながら育った。今でもみんな近くに住んでいて、連絡を取り合っている」
父親は教育に関して非常に厳格だった。医者や歯科医などになることを期待していたからだ。だが学校での勉強に意欲的ではなかったラマザノフは、成績も良くなかった。
ダゲスタンではアスリートが非常に尊敬されており、スポーツも選択肢の1つだった。9歳の時、ラマザノフはボクシングの教室に通い、規律を学んだ。レスリングを試してみたかったが、父親には禁止された。ボクシングもあまり興味がなく、ラマザノフは不満だった。
「コーチは、自分はボクシングを始めるには若すぎると言った。それで父に、12歳になるまではバスケットボールやサッカーの教室に入れるようアドバイスした」
「バスケットボールは嫌いだったから、決して上手になることはなかった。父のためにやっていただけだった」
だが初めてグローブを着けるのに適した年齢になる頃には、ラマザノフは興味を失っていた。
「12歳になったが、レスリングやボクシングの教室にはいかなかった。ちょっと何がしたいのかわからなくなったんだと思う」
格闘技に刺激を受けて
2年後、ラマザノフはムエタイをやってみるよう説得され、すぐにジムの特別な雰囲気に惹かれた。
「友人がある教室に連れて行ってくれ、すぐに夢中になった。毎日ジムに行くようになった」
「そこの人たちはお互いに敬意を持っていて、協力的だった。素晴らしいことだった」
そのジムの屋台骨はイブラヒム・ヒディロフというコーチだった。彼は指導者として生徒たちに、戦いのスキルだけでなく、格闘技の持つ重要な価値観も教えたのだった。
「彼はコーチとして素晴らしかったが、その存在は自分たちにとってコーチ以上のものだった。自分たちの2番目の父親のようなものだ」
「彼は自分たちに規律を植えつけ、リングの中でも外でも常に、チャンピオンとしてふるまわないといけないと教えてくれた。トレーニングで習得したスキルと資質は、厳しい状況に陥った時いつも、自分を助けてくれた。ムエタイは自分を成長させ、積極的に、前向きであり続けるよう促してくれた。
ラマザノフは初め、自衛の目的でトレーニングをしていた。やがてアマチュアとしてリングに足を踏み入れたが、初めのうちはうまくはいかなかった。
「自分をファイターだとは思っていなかった。最初の頃の大会では、何度も負けた。確か、初めは6、7回連続で負けたと思う」
敗北を繰り返したものの、ラマザノフは辞めようとは思わなかった。そしてトレーニングを続け、地方大会で優勝を成し遂げた。さらに16歳の時に、ロシアの全国大会を制覇。これによりロシア代表チームにも招聘され、国際アマチュアムエタイ連盟(IFMA)の世界選手権で3度優勝したのだった。
タイでの厳しい時代
ラマザノフは18歳でプロに転向し、成功を続けた。だが最高のアスリートたちと戦うために、スキルをより高いレベルに引き上げる決意をした。
つまり、ムエタイの祖国タイに移り、タイでトレーニングするということだった。だがいいジムを見付けるのは、言うほど簡単なことではなかった。
「(理想的な)チーム、コーチを探してさまざまなジムを回ったが、うまくいかなかった」
「ある日、ロシアのマネージャーの紹介でバンコクのあるジムに行き、そこでトレーニングを始めた。しばらくは順調だったんだけど、用意してくれた試合に負けてしまって、すぐに手のひら返しの扱いを受けた。出て行ってほしいと思われていた」
幸運なことに、ラマザノフは友人のつてで、パタヤの「Venum team」にたどり着いた。ラマザノフは決意を新たに成功を誓い、新しいジムでこれまで以上に熱心にトレーニングに打ち込んだ。
「大変な時期だった」
「キャリアの将来像を考えていなかった。どういう機会があるのか知らなかったし、何をしていいのかわからなかった。だからとにかく一生懸命に練習して、チームの中で自分の居場所を獲得しようと思ったんだ」
大きな大会で勝ち、最高の選手たちと戦える舞台にステップアップする機会を手にするようになり、ラマザノフの努力は報われた。
最強の選手になって
ラマザノフは2018年10月、ONEスーパーシリーズに参戦することになった。そして最初の試合で大きな舞台が与えられた。「ONE:KINGDOM OF HEROES」で、何度もムエタイ世界チャンピオン輝いた、ペットモラコット・ペッティンディーアカデミー(タイ)と対戦することになったのだ。
相手の母国、タイ・バンコクで地元のスーパースターと戦うという不利にもかかわらず、ラマザノフはユナニマス判定で勝利を手にし、タイの観衆を黙らせた。
「今でも誰かが自分を紹介するとき、ペットモラコット(ペッティンディーアカデミー)を倒した男だと言うんだ。憧れていた選手がライバルになるのはシュールだよね」
「ONEの一員になれたことを非常に誇りに思っている。周りを見回してみると、世界チャンピオンやレジェンドと呼ばれる、素晴らしい選手たちがいる。彼らと同じ団体で戦えることは、自分のキャリアにとって大きな一歩だった」
ラマザノフは1か月後、別のチャンスをもらう。そしてアンドリュー・ミラー(スコットランド)との対戦に臨み、記録破りの57秒でのノックアウトで勝利を手にする。
「この試合に出るのはちょっと賭けだったが、マネージャーに聞かれた時、1分考えてイエスと答えた」
さらにスリリングなパフォーマンスをいくつか見せた後、ラマザノフはONEバンタム級キックボクシングの初代世界王座を懸け、ジャン・チェンロン(中国)と対戦することになった。
5ラウンドに渡る攻防の後、ラマザノフが手を上げ、格闘技で最高の賞を手にした。
「その時の感情は、どう説明すればいいのかわからないくらい」
「このベルトのおかげで自分の名前は有名になったし、格闘技でより高い段階に進むことができた。スポーツマンのエリートにね。ベルトがキャリアを変えてくれた」
「将来、自分の名前が世界中で知られるようになってほしいと思う。そして世界のトップ5のファイターになりたい。数多くのレジェンドと戦い、レジェンドを倒した選手として覚えてもらいたい」
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