ムエタイ歴27年、2冠王者サムエーのこれまで

Sam A Gaiyanghadao defeats Wang Junguang at ONE MARK OF GREATNESS YK 3495

サムエー・ガイヤーンハーダオ(タイ)は貧困の中に生まれ育ったが、9歳から始めたムエタイに献身的に取り組み、家族のために豊かな生活を手に入れることができた。

36歳になったサムエーはONEストロー級キックボクシングとムエタイの世界チャンピオンだ。格闘技史上最強の選手の一人としての地位は既に手にしているものの、彼の選手生命はまだ終わっていない。

サムエーが世界中の何百万人ものファンを魅了するヒーローになるまでを紹介する。

タイの田舎での貧しい生活

Sam-A Gaiyanghadao as a child

サムエーはタイ東部のブリラムに生まれ、両親と2人の兄妹とともに貧しい暮らしを送っていた。

「子どもの頃は木造の粗末な家に住んでいて、生活は厳しかった」

「きちんとしたドアのようなものすらなかった。部屋もなく、あったのは仕切りだけ。両親が片側で寝て、もう片側の蚊帳の下で自分達兄妹が寝ていた」

サムエーは難しい子どもで、家や学校で問題を引き起こすこともあったという。だが両親が自分たちを養うために頑張っていることをよく分かっていた。

両親は製材所で重労働に携わり、わずかな賃金を得ていた。仕事に行くための自転車を買うのが精いっぱいだった。サムエーたち兄弟は、生活を楽にするためにできることをしようと決めた。

「家事を分担して済ませ、両親が帰ってきた時に楽にできるようにした」

サムエーが知っている人生は他になかったため、しばらくの間は自分も将来、同様の運命をたどるものだと信じていた。

「自分はただの小さな子どもだった。お金を稼げるとは思っていなかった」

ムエタイに出会って

Sam-A Gaiyanghadao

9歳の時に人生を変える出会いがあった。地元のイベントでムエタイと出会ったのだ。数週間前から試合をとても楽しみにしていて、袋をもみ殻で満たしてパンチングバックを作り、マンゴーの木に吊るして試合までの間を練習して過ごしたのだった。

2週間後、サムエーは夢中になって試合を観戦した。そしてプロモーターに試合に出てみるか聞かれた時も、戦うことを怖がったりはしなかった。

「そのプロモーターは実は自分の叔父で、まず両親に聞いてみないとと言われた」

「とても興奮していた。試合が終わってまっすぐ家に帰ったんだ。1キロ以上あった。両親に話をしに行った。彼らはその時間は働いていた。試合に出てもいいか聞いたら、だめだと言われた。自分は泣き出して物を投げ散らかした。それで両親はあきらめて許してくれた」

サムエーは自分が何をしていたのかよくわかっていなかったと振り返るが、それでも試合に勝った。そして直後にももう1試合勝つと、サムエーのポテンシャルに気づいたジャッジが、次の村でも試合に出るように勧めたのだった。

今回は経験不足が露呈して負けてしまった。だがもうサムエーのやりたいことは明らかだった。両親も賛成し、よりよい将来に向かってサムエーを歩ませたのだった。

「(試合に負けた時)とても怒って、泣いて、誰とも話そうとしなかった」

「両親が自分をサポートしようと決めたのはその時だった。それでトレーナーを探してくれた。自分はトレーニングを始め、約1か月間、トレーナーが手伝ってくれた。6試合くらいしたかな。地元ではちょっと知られるようなった。ムエタイについて学び始めた時、ムエタイでキャリアを積んで家族の面倒をみれると気づいた」

浮き沈み

サムエーは懸命にトレーニングに取り組み、すぐにムエタイの聖地バンコクに移って自分を試すチャンスを得た。

経験は十分だったが、ラジャダムナン・スタジアムでのデビュー戦は緊張したという。だがすぐに慣れると、スターへの道を歩み始めた。

「とても緊張していた。全然眠れなかった。大きな会場で試合をするのは初めてだったから」

「トレーニングして戦い続けた。勝ち始め、有名になり始めた。うれしかったが、変な気分だった。どこにいってもみんな自分のことを知っているんだ。おかげでもっとトレーニングして、戦って、ベストを尽くそうとやる気が出た」

家族から離れて、バンコクでトレーニングと試合に明け暮れる生活は、時に大変なこともあった。サムエーは多くの浮き沈みを経験したが、成功への決意は固かった。

20年以上に渡り、サムエーは最強の選手たちと戦い続け、格闘技史上最も称賛に値する記録を作り上げた。350勝以上を挙げ、数々の世界タイトルを獲得し、現代の最高のアスリートとして認められるようになった。

そして2018年、ONE史上初めてムエタイで勝利を挙げた選手になると、ONEフライ級ムエタイの初代世界王者に就任した。

「(ONEスーパーシリーズ)の最初の世界チャンピオンになれてうれしかったし、誇らしかった」

「自分のキャリアでここまで到達できるとは思っていなかった。全ての選手が願っていることだが、実際にはとても難しい」

より良い生活

サムエーは活躍を続け、キックボクシングのルールで初めて臨んだ試合で、ONEストロー級キックボクシングの世界王者に輝く。さらにONEストロー級ムエタイのベルトも手に入れた

だが最も誇りに思っているのは、家族を貧困から救い出したことだ。

「今では(両親は)豊かな生活を送っている。もう働かなくてもいいし、孫と時間を過ごせる」

「自分の家族は今、とてもいい暮らしを送っている。家も車もある」

「娘たちにも、より良い未来を与えることができた。自分の人生は大変だったし、そんな思いは娘にはさせたくない。娘たちによりよい生活を与え、素晴らしい家族を手に入れた。家族が幸せに暮らせるためならなんだってするよ。家族が自分の拠り所なんだ。自分が疲れていても、彼らのためなら大丈夫」

自分が夢見た成功を上回る成功を修め、四半期以上に渡って戦い続け、36歳になったサムエーはそれでも休もうとはしない。

トレーニングに励み最高の選手たちと戦いたいというモチベーションは、これまでと同様に強い。さらに、ファンをもっと楽しませることができると信じている。

「とても長い期間、戦ってきて、たくさんの試合に出た。でもトレーニングや新しいテクニックを学ぶことをやめたことはない」

「ムエタイにはピークはないんだ。ムエタイに終わりはないから、自分はやめられない。いつでも学び続けないといけない」

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