【2/28大会】「私は戦いたい」ティファニー・テオを変えた旅路
ティファニー・テオ(シンガポール)はかつて、合唱団に通う内気な少女だった。だが自分を真剣に見つめなおすうちに、何事も恐れない強い決意を胸に、格闘家として最高レベルの舞台にたどり着いた。
2月28日(金)にシンガポールで開かれる「ONE:KING OF THE JUNGLE」で、テオは三浦彩佳と対戦する。勝った方がONEストロー級世界戦の挑戦者になるという運命の一戦だ。そんなテオもかつて、試合に出る自信がなかったこともあったと振り返る。
テオは2010年、シンガポールのムエタイジム「Baan Nak Muay」でムエタイのトレーニングを始め、そのひたむきさによりすぐさまコーチやインストラクターの目を引く。
コーチらの勧めにもかかわらず、テオは試合で自分を試すことにはためらいを見せた。
「ほぼ毎日トレーニングしていたが、まだ戦いたいとは思っていなかった」
「あの頃の目標は、トレーニングして日々強くなることだけだった。タイ人のコーチたちは当時、私が一生懸命に練習している姿を見て、私が試合に出たいと思っていると思ったのだろう」
卒業が間近に迫っていたこともあり、試合に出たいかどうかを考える時間もあまりなかった。
- 【2/28大会】三浦彩佳、テオ戦へ「落ち着いて練習できている」
- 【2/28大会】怪我回復ティファニー・テオ、三浦彩佳戦へ気合十分
- 【2/28大会】KING OF THE JUNGLEオンライン観戦ガイド
「学校に通っていて、アルバイトもしていた」
「プロとして試合に出ることを考える前に、まずもっとトレーニングに時間を割けるようにしないといけないと感じた。精神的にも身体的にも、試合に出られるコンディションではないと感じていた。留学することも選択肢としてあったし、あまりにもたくさんのことが一度に起こっていた」
その後まもなく、米国・ニューヨーク市に移り、学校の最終学期を終えた。
その間、格闘技のトレーニングは続けたものの、大学でのブラジリアン柔術やボクシングのクラスはフィットネス目的のものだった。テオはかつてのような、激しい練習を切望するようになる。
卒業後にヨーロッパを旅行し、テオはスペイン北部を横断する約800キロメートルの「サンティアゴ巡礼路」を辿り始める。世界遺産にも登録されている場所で、毎年多くの人が、信仰と向き合ったり精神的な成長を求めたりして、この道のりを辿る。テオにとっては、格闘家として成し遂げたかったことに、意識を向ける時間となった。
「そのためのトレーニングはしなかった。ハイキングブーツを履いて丸1か月間、歩き続けた。本当に、人生を変えるような体験だった」
「毎日歩いている間に、考える時間がたくさんあった。だから卒業後のやりたいことリストについて考えた。例えば『次は何をする?』とか。そして気付いた。人生のやりたいことリストの中に、本当のムエタイの試合に出る、ということが入っていることに」
シンガポールに戻った時、テオは女性選手を探していたジムに入門し、アマチュアの試合に出場する。
その試合には敗れたが、反省からボクシングに取り組み、手を使った攻撃を改善させる。そしてトレーニングを1年続けた後、アマチュアで初勝利を挙げた。これにより2015年にスリランカで開かれた東南アジア競技大会の、ボクシング代表チームに召集される。
「その時点で、ゼロか100かという感じだった。もしうまくやりたいなら完全にコミットしないといけないし、それかもう全くやらないか、どちらか」
「100パーセントの力を注いで取り組もうと決意をしたのは、その時だった」
テオはトレーニングをしていたジムのヘッドコーチから、総合格闘技へ転向を打診される。
「あの頃ボクシングの試合をするのは大変だった。同じ階級に女性選手があまりいなかったから」
「ただ試合にたくさん出たいと思っていた。だから『とりあえず試してみたら?』って思った」
テオは2016年初めにプロデビューを果たして連勝を続け、ONE女子ストロー級の初代王座への挑戦権を手にする。
現王者でもあるション・ジンナン(中国)に悔しい敗北を喫したものの、テオは前を向き続けた。ジムに戻って厳しいトレーニングを続け、強敵を倒し、再び世界タイトル戦への切符に手が届くところまでやってきた。
「何か欲しいものがあったとする。でもそれを手に入れるために、例えば私の場合なら1日3回トレーニングをしたり、食事管理をしたりしないといけない。そういう時に、自分が本当は何を望んでいるのかということが見えてくる」
「何度も自問した。答えは『私は戦いたい。本当にやりたい』。他の多くのことを犠牲にしなければならなかったとしてもね。もしそれでもやりたいことがあるなら、やったほうがいい」