【5/20大会】ジミー・ビエノがONEの世界王座挑戦者になるまで
ジミー・ビエノ(フランス)はすでに5つの世界タイトルを獲得し、地上最も偉大な西洋ムエタイファイターの1人として知られるようになった。そして今、最大の舞台で自身の力を証明しようと意気込んでいる。
5月20日(金)、ビエノはシンガポール・インドア・スタジアムで行われる大会「ONE 157: Petchmorakot vs. Vienot」のメインイベントで、ONEフェザー級ムエタイ世界チャンピオンのペットモラコット・ペッティンディー(タイ)に挑戦する。
この記事では、26歳のビエノが世界タイトルマッチの機会を得るまで、どのような道筋をたどって来たのかを紹介する。
ムエタイとの出会い
ビエノと格闘技の出会いは4歳の時のこと。投げや抑え込み、極めといった技術が重要な要素である柔道を始めた。
だが、やがてもっと激しい競技に取り組みたいと思い始め、立ち技に目をつけた。
「もともと格闘技が好きだった。柔道も好きだったけれど、13歳のときに相手を殴れるようになりたいと思うようになった」と、ビエノは説明する。
「ムエタイは、キック、パンチ、ヒジ、ヒザがあり、最も完成された打撃系競技。だから夢中になって、好きになったんだ」
すぐさまムエタイに魅了されたビエノの人生の優先順位はすぐに変わった。
実のところ、他のことにはほとんど興味がなく、最高のムエタイファイターになることだけに専念した。
ビエノはONEにこう話している。
「幼い頃から常に最高のゴールを目指してきた。とりあえずこの競技をやってみよう、なんて考えなかった」
「ビジョンがあった。学校での成績は良くなかった。好きな仕事も見つからなかった。ムエタイ以外に チャンスも才能もなかった」
本場で16歳でプロに
ビエノが天才的なスキルを発揮するのにそれほど時間はかからなかった。アマチュア大会で成功を収め、やがてタイに渡り、トレーニングや試合に参加するようになった。
プロとしてのキャリアをスタートさせたのは、ムエタイの本場のタイだった。常にアクセル全開だった。
「タイに行ったのはとても早い段階だった。ほぼ毎年、4〜6ヵ月はタイに滞在していた。成長できたし、その後も競技を続けてムエタイ界にとどまり続けた」と、ビエノは話す。
「プロ初試合は、タイで16歳の時だった。屋外での試合だったから、いろんな人が見ていた。本当に非日常的なものだった。タイのムエタイの文化や雰囲気がとても好きで、その日は相手をKOで倒したんだ」
デビュー戦での勝利は、長期的にムエタイを続けることを決心するための重要な瞬間になり得たかもしれない。だがビエノは、はるか高みを見据えていた。
ビエノはこう振り返る。
「タイでの最初のKO勝利は、キャリアにそれほど大きな影響を与えなかった。なぜなら、すでに若い頃、自分が進みたい方向について非常に細かいビジョンを持っていたからだ」
「もちろん、うれしかったし、次につなげたいという気持ちもあったけれど、すでに集中していた。すでに頭の中に目標は全部あったので、その計画通りに進んでいった」
21歳で王者に、さらなる挑戦へ
ビエノ世界中で記録と評判を築き続け、ムエタイで急成長中のスターとしての地位を確立した。
そして2016年、タイの首都バンコクで開催された大規模なイベントで、世界プロムエタイ連盟(WPMF)のベルトを獲得してブレイク。驚くべき潜在能力を示した。
「21歳という若さでチャンピオンになり、ムエタイ界ですべてを勝ち取るという決意がさらに強まった」と、ビエノは振り返る。
ビエノは、WMCとWBC世界タイトルも獲得。2019年にはタイ人以外で史上4人目となるルンピニー・スタジアム・ムエタイ世界タイトルを獲得するなど、栄冠を勝ち取り続けた。
これらの積み重ねた輝かしい経歴に加え、5月20日にペットモラコットを倒すことができれば、その評判はさらに高まり、生涯をかけた努力が報われたことを再び証明できる機会となるだろう。
ビエノはONEに以下のようなコメントをしている。
「ONEのベルトは誰もが欲しがるベルトだ。なぜなら、この競技にに欠けているもの、評判や知名度といったものが付いてくるからだ」
「だから、このベルトのためにみんな一生懸命に練習しているんだ。このベルトを取って保持できるかは、単純に自分次第だ。自分の元にあるべきものを手に入れるために、自分以上に努力する者はいない」