【4/22大会】孤児院から世界の舞台へ、マスンヤネのこれまで
ストロー級の無敗のトップコンテンダー、ボカン・マスンヤネ(南アフリカ)は、多くの困難を乗り越えるため努力を重ねてきたが、これからもその姿勢を保ち続ける。
4月22日(金)、シンガポールで行われる「ONE 156: Eersel vs. Sadikovic」で、マスンヤネは2位コンテンダーのジャレッド・ブルックス(米国)と対戦する。
これまでの人生で味わってきた試練と同様に、マスンヤネはどんな状況であっても困難に打ち勝てると証明したいと意気込んでいる。
27歳のヨハネスブルグ在住のマスンヤネは、この試練を乗り越えれば、ONEストロー級世界チャンピオンのジョシュア・パシオ(フィリピン)との対戦が実現するだろう。
シンガポールでの負けられない一戦を前に、マスンヤネがどのようにして意思の力を得て、不利な状況下でも成功を掴み取る術を身につけたのか探ってみよう。
激動の子供時代
マスンヤネは、南アフリカ共和国に囲まれた内陸国のレソトで生まれた。しかし、家族に悲劇が襲い、そこには長くとどまれなかった。
4人の子供をたった1人で育てていた母親は、マスンヤネがわずか2歳の時に亡くなった。そしてマスンヤネはヨハネスブルグの叔母の元で暮らすことになった。しかし、経済的に余裕はなく、叔母も自身の子供の世話をしなければならなかった。このため、マスンヤネは6歳のときにきょうだいとともに孤児院に預けられることになった。
家族の元から見知らぬ人と暮らす生活への移行は簡単ではなかったが、常に前向きなマスンヤネは、この経験から得たこともあったと明かす。
「正直なところ、悪い時期もあった。でも、たいていの場合、前向きでいるよう努めていたし、良い時期を思い出すようにしていた。自分にとっては、自分自身を発見し、自分の好きなことを知るための一過程だったと思う。母親や父親がいなかったから、自分の面倒を見てくれる周りの人たちにいつも感謝していた」
マスンヤネのONEチャンピオンシップ編集部へのインタビューより
末っ子だったマスンヤネは、過酷な環境にあっても、きょうだいに支えられてきた。
「きょうだいも大変な思いをしているのはわかっていたけれど、いつも自分たちは仲が良かった。生き残るための戦いだった。きょうだいもまた、それぞれの物語がある」と、マスンヤネは振り返る。
勉強には頑張って打ち込んだが、決して得意ではなかった。代わりに自分の強みを生かそうと考え、スポーツに行き着いた。
「いろいろなスポーツが得意だった。サッカーが好きだった。陸上競技も楽しかったし、体操もたまにやっていた。孤児院の中には、選べる競技がたくさんあって、自分はレスリングに情熱を見出した」
マスンヤネのONEチャンピオンシップ編集部へのインタビューより
レスリングとの出会い
ジャッキー・チェンやブルース・リーの映画を見て格闘技に興味を持ち、プロレスも見ていた。
だが、7歳の時、遊び場でのいさかいがきっかけでフリースタイル・レスリングに興味を持つようになる。
マスンヤネはこう語っている。
「友達とジャングルジムで遊んでいたら、他の子が何か友達に言ったんだ。正直、何を言われたかは覚えていないけれど、その友達がきっかけだった。だって、友人を危険から守ることは自分の本能だったから」
「そいつは友達を蹴ったから、自分はそいつをジャングルジムから放り出して、下まで飛び降りて、胸の上にまたがってパンチした。いとこに止められて『けんかはダメだ。よくない。君は小さいのに強いからレスリングをしなさい』って言われた。そうしてレスリングを始めたんだ」
初めてマットに足を踏み入れた時からマスンヤネは夢中になった。レスリングの魅力に取りつかれただけではなく、世界から逃避する手段にもなった。
「初めて練習に参加したときから、もう夢中になった。ただレスリングの練習をして、楽しみたいだけだった。精神的には、ただそこにいること、自分の生活のことを考えないことができて、それが逃避になったんだ」
この熱心さで、アフリカ大陸での大成功を収めることができた。そして、マスンヤネはレスリングでできる限りのことはやり尽くしたと感じ、総合格闘技に転向した。
「23の国内タイトルを獲得し、3度アフリカ選手権で優勝し、コモンウェルスゲームにも出場した。しかし、残念ながら、南アフリカのレスリングは、世界に比べて規模が小さいんだ。生計を立てることはできないし、最良の選択肢はMMAだった」
「MMAを学び始めて、好きになった。自分がどこまでやれるか試してみようと思った。みんな応援してくれたし、それ以来、得意になった」
マスンヤネのONEチャンピオンシップ編集部へのインタビューより
子供たちに勇気を
格闘技に打ち込むことで、より良い人生が開けるとマスンヤネは信じていた。だが、いつも自信があったわけではない。
実は、孤児院にいたという偏見を払拭するのは大変で、外の世界でなかなか溶け込めなかったという。
マスンヤネはこう語っている。
「孤児院出身ということで、自分は取り残されたような気がした。人生のすべてから取り残されているような気がした。世の中はどんどん進化しているのに、自分は孤児院と学校を往復しているだけ。現実の世界では、取り残されたような、居心地の悪い状況に置かれていた。実は、自分も他の人間と同じという安心感を得るために、不安と戦わなければならなかった」
だが現在では、その気持ちはマスンヤネの成功を後押しするものとなっている。
同じような立場にある子供たちに、たとえ社会の中で他の人より恵まれた環境になく、チャンスが少ない場所から人生が始まったとしても、大きなことを成し遂げられるということを伝えたいと思っている。
マスンヤネはこう語っている。
「まず、孤児院の子供たちに、チャンスはある、人生で正しい選択をして、続けてばいいってことを示したかった。でも、そうしているうち、自然と周りの人たちのやる気も上がっていくことに気付いた」
「孤児院の子供たちのことは大切に思っている。自分もそのような葛藤や世界から取り残されたような感覚、何かの一部になりたいと思う気持ちを経験してきたからだ。そして、ONEチャンピオンシップは世界の何か大きなことをの一部になる機会を与えてくれたと思っている」
世界の舞台へ
ONEチャンピオンシップは、マスンヤネにとって意思を固めて努力をすれば何でも達成できることを世界に示すための完璧な舞台だ。
マスンヤネは現在8勝0敗、ストロー級ランキング1位の実力者であり、世界タイトル挑戦権を獲得し、南アフリカ初のONE世界チャンピオンになる可能性もある。
「ONEと契約したことは、人生においてとても大きな出来事だった。世界最高のMMA団体の1つであるONEで戦うということは、総合格闘技の最高レベルにいるということ。もし自分があらゆるの努力をし、すべての時間を費やせば、実際に何かになれるということを示している」
「ONEに参戦できたということは、ONEで世界チャンピオンになり、世界最高のファイターの1人になることができるということだと信じている。そして、それこそが自分の目標だ」
マスンヤネのONEチャンピオンシップ編集部へのインタビューより
マスンヤネは自身がここまで辿り着くのにどれだけ努力を重ねたか知っている。そして、今回の試合が人生で最もタフな戦いであろうとも、自身の夢を奪わせるつもりはない。
マスンヤネはこう話した。
「自分の階級のファイターのことは尊敬しているけれど、自分には世界チャンピオンになるための特別な何かがあると信じている。そして、この体重では自分は一番手強い男だ」