インドネシア最高クラスのジム、ハン・アカデミー
ONEチャンピオンシップはインドネシアの総合格闘技界に大きな影響を与えており、インドネシアでは数多くの優秀なアスリートたちが台頭している。
その中の2人の選手、アジズ・カリム(インドネシア/フィリピン)とアブロ・フェルナンデス(インドネシア/東ティモール)の場合、その成功は、中央ジャワのソロにある慎ましいジム「ハン・アカデミー(Han Academy)」から生まれた。
ハン・アカデミーは近年、ヘッドコーチで創設者のヨハン・ムリア・レゴウォの献身的な努力により、インドネシア最高クラスのトレーニングの場になった。
新進気鋭のアスリート、カリムは2015年、格闘技ジムで正式なトレーニングを始めた。
「実は、当初は総合格闘技のジムを探していたわけではなかった。ボクシングをやろうと思って、近くのジムを探していたんだ」
ボクシングのスキルを磨くつもりだったカリムだが、徐々に他の分野へとトレーニングを広げ、やがて総合格闘技における自身の可能性を見出し始めた。
「正直に言って、総合格闘技を始めたのは偶然なんだ」とカリムは繰り返す。
「できる限り最高のトレーニングをしようとしていたが、突然、ヨハン(レゴウォ)コーチがいくつかのアマチュア大会に出場登録をしてくれて、そして自分は優勝した。その後OPMMA(One Pride Mixed Martial Arts)にも出ることになったが、その時はいつもと同じような試合だと思っていた」
2016年9月にプロデビューしたのは、カリムにとっては全く予想外だったのだと言う。いつものアマチュアの試合だと思っていたキャリムは、その試合の重要さを理解していなかった。
「試合に呼ばれた時、ヨハンコーチはそれがプロの試合だとは言わなかった。試合があると言われただけだった」
「でも入場の最中、たくさんのカメラが写真を撮ったりビデオを録画したりしていたんだ!」
劇的な勝利でプロとしてのキャリアをスタートさせた後、カリムはレゴウォのリーダーシップの下、総合格闘技の道を歩み続けた。他のジムを訪れてさまざまなコーチやアスリートとトレーニングをしても、ハン・アカデミーはカリムの真のホームであり続けた。
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「ルディ・アグスティアン(インドネシア)のジム(Golden Camp)など、他の場所でもトレーニングを行った」とカリムは言う。
「でも当時、自分は(ハン・アカデミーから)移籍を考えたことはなかった。自分たちは素晴らしい絆を築いており、ヨハンコーチはもっと上達できるようにと、励まし続けてくれた」
レゴウォがもたらしたやる気とトレーニングにより、カリムは今日のようなアスリートになった。 いつの日かONEストロー級世界タイトルを獲得し、ハン・アカデミーを国際的なスターダムの座に押し上げることを願っている。
カリムの同胞のインドネシア人でトレーニングパートナーでもあるフェルナンデスも同じ思いを抱いている。
レゴウォは2015年にプロの総合格闘技の世界に飛び込んだ最初の瞬間から、フェルナンデスの面倒を見てきた。
「ハン・アカデミーから学んだ全てのことを基に、総合格闘技のキャリアを始めた」とフェルナンデスは言う。
「ヨハンコーチとハン・アカデミーのパートナーの指導がなかったら、自分は今、世界クラスのアスリートになっていなかったかもしれない」
フェルナンデスにとってハン・アカデミーは、単にトレーニングを行うだけの場所ではなく個人的に特別な場所だ。トレーニングパートナーやコーチは兄弟や姉妹のようであり、指導を必要とし、彼が成長するのを助けてくれた。
「個人的に、このジムから出ていくことは全く考えたことがない。 自分にとっては非常に特別な場所だ」
「将来、自分のスキルを磨くために他のジムでトレーニングすることがあるかもしれないが、最終的には、自分は『ホーム』であるこのジムに戻って来る」
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