【9/6大会】格闘一家出身デュイ・ニャット「ベトナムの灯に」
ニューイェン・トラン・デュイ・ニャットは、ベトナムで最も才能ある格闘家の一人として名を馳せる。9月6日(金)に母国で開催される「ONE:IMMORTAL TRIUMPH」で、デュイ・ニャットの試合は、最も注目を集めるカードの1つになるだろう。
ONEチャンピオンシップがベトナムで開かれるのは初めて。 デュイ・ニャットはフライ級ムエタイで、アズワン・チェウィル(マレーシア)と対戦する。
ベトナムでの歴史的な大会で熱狂的なファンの前に出る前に、デュイ・ニャットが格闘技の王国とも言える環境で育ったその生い立ちを紹介する。
4世代格闘家
デュイ・ニャットはベトナム南部の都市で、姉と2人の弟と共に育った。ベトナム武術を確立した格闘技の達人の子孫で、彼には格闘家の血が流れている。練習を始めたのはわずか3歳の時だった。
日々のトレーニングは厳しいものだったが、彼はジムで過ごす時間に夢中だった。
「格闘技は4代にわたる家族の伝統。だから家族は自分たちの道場を開いたんだ」
「格闘技が大好きだし、格闘技に人生を捧げたかった」
デュイ・ニャットは14歳の時に試合を始めた。ジュニア・トーナメントで成功してからは、プロに進むのが自分の道だと自信を深めた。
ムエタイ転向
ホーチミンで学ぶために故郷を離れた2007年、デュイ・ニャットはムエタイに出会った。
家族の伝統であるベトナム武術から離れることになったが、両親はサポートを惜しまなかった。
「トニー・ジャー主演のアクション映画『マッハ!!!!!!!!』の中で初めてムエタイを見たんだ」と彼は明かす。
「ムエタイは、両親がやっていた格闘技と似ていると思ったので、ムエタイをやってみることにしたんだ」
「自分の家族にとって格闘技は生活そのものだから、理解してくれたし、支えてくれた」
海外で試合をする機会があることも、ムエタイをやりたい理由の一つだった。 デュイ・ニャットは2009年、 アジア五輪評議会が4年に1度開く大会「アジアインドア・マーシャルアーツゲームズ」(タイ開催)に ホーチミン市ムエタイチームの一員として参加。銀メダルを獲得し、故郷での名声を得た。
2009年と2013年の東南アジア競技大会でもメダルを獲得したほか、5つのWMF世界タイトルも獲得。デュイ・ニャットはベトナムの人気スポーツ選手の一人としての地位を確立した。
選手とコーチ
リングでの生活は簡単なものではない。今日に至るまでに多くの苦労を経験してきたと、 デュイ・ニャットは 認めている。
「格闘家でいるということは、とても大変なこと」
「非常に短い期間で、何キロも体重を落とさないといけない時がある。そして増やさなければいけない時も。もちろんいつもケガに気をつけなければいけない」
最もひどいケガの1つが、2012年の肘の骨折だ。しばらく試合ができなくなったが、ムエタイから離れたくはなかった。だから休む代わりに、若手選手のコーチをすることにしたのだ。
デュイ・ニャットは若い選手に知識を伝えることに情熱を傾けており、いつの日か指導者になる自分を思い描いてきた。
「プロとして戦えなくなったら、トレーナーになりたい。才能あふれる若い選手を見つけ、世界クラスの格闘家に育てたい」
メジャー大会
デュイ・ニャットはその素晴らしい功績により、ベトナムで愛されている。そして今、国内最大の格闘技イベントで主役の一人になろうとしている。
彼はアズワンとの試合の後も、最強の格闘家たちと戦い続けることを願っている。「自分自身を誇りに思っている。世界一流の格闘家と同じ舞台で戦うことができるんだから」
「ONEには非常に才能のある選手がいるから、ここで戦い続けたい。自分はジョルジオ・ペトロシアンのファンなんだ。海外のアスリートと戦って自分のスキルを試したい」
「ONEはいつも、アスリートをケアしてくれる。ONEで戦うときはみんな、何も心配する必要がない」
デュイ・ニャットが何よりも楽しみにしているのは、故郷のファンのために大会を開き、より多くの同胞がメジャー大会で成功するための扉を開くことだ。
「試合の大小にかかわらず、自分は常に最善を尽くす。でも自分がベトナムを代表するとき、自分は祖国のために勝つ」
ホーチミン | 9月6日 (金) | 21時(日本時間) | 中継:ONEチャンピオンシップ公式アプリで生中継(無料)