ONEアスリートの旅先でのトラブルエピソード
トップクラスのアスリートになると、試合で世界中を飛び回り、新しい場所で見知らぬ経験をする機会が増える。だが、そうした旅行はいつも順調だとは限らない。
海外旅行でも、国内ドライブでも、移動にはトラブルがつきものだ。だが、災難に見舞われても、無事に目的を達成して帰宅できれば、「終わり良ければ全てよし」で、笑い話として振り返ることもできる。
この記事では、ONEチャンピオンシップの総合格闘技のスター達の旅行に関するエピソードを紹介する。
高橋遼伍
「ONEインドネシア大会(2019年5月のONE: FOR HONOR)のホテルで、トレーニング用に入れた水道の水を間違えて飲んで30分後にお腹を下した。勝手に漏れてパンツを2枚捨てた」
「外国で水道水を飲むなと言うことの意味を知った。日本の環境設備の良さを改めて知った。きれいな水、街の人は親切、言葉も通じる、撃ち殺される事もないし、場所も分かる」
「これだけ設備のいい国で試合して勝つのは当たり前の事で、環境が変わった、調整の難しい場所で試合して勝つ事がファイターとしての強さ、人としての強さだと感じている。 だから、自分は海外でチャレンジしたい。難しい環境で、海外で勝つことは人として、ファイターとしての強さを証明する一番の近道だ 」
シャノン・ウィラチャイ(タイ)
「マニラで青木真也との試合(2018年7月のONE REIGN OF KINGS)のために、飛行機に乗った時、乱気流で怖い思いをした。飛行機は好きじゃないんだが、あのフライトは最悪だった。ビビって、3列先の女性もパニックになり始めた」
「搭乗員が食事を提供しようとするんだが、戻ってしまうんだ。5回はあった。何度も何度も。だから本当に最悪だと思ったんだ」
「石毛里佳の隣に座っていた。彼女は航空大学校に通ったことがあったから、飛行機に関する知識があった。彼女だけが頼りだった。自分は『最悪!』と言ったが彼女は『大丈夫』って言って眠り続けた。気にしてなかった」
「飛行機の後ろに乗っていて、振動がひどい場所だったから怖かった。でも(石毛)リカは『大丈夫。後ろ側に乗ってるから、落ちても死ぬ可能性は一番低い』と話していた」
「(青木)シンヤとの試合の週なのに、不運だった。すごく気分が悪くなって医者に何度も診てもらったから」
三浦彩佳
「(2019年2月のONE: CALL TO GREATNESS)が初めての海外旅行。英語が分からずに、シンガポールに到着してから空港から出れなかった」
「空港で入国カードを書くことを知らなかった。英語でわからなかったが、結局入国カードを書いて、英語と日本語を混ぜて喋って3回目くらいで突破した」
「一度経験して要領が分かったので、それからは大丈夫だった」
トロイ・ウォーゼン(米国)
「すごくワイルドな旅行をしたことがある。多分総合格闘技で最初のアマチュアのタイトルをかけた試合で、何をしているか分かっていなかった。一緒にいくコーチもいなかった。自分とその夜に参戦するチームネイトだけ。減量もしなくちゃいけなかったし、計量のために6時間運転して行った」
「チームメイトと起きて運動をしたが、完全に脱水状態だった。自分のトラックに乗って、6時間運転している間に汗を出そうとして、ビニール袋を使っていた。車のヒーターをつけて、温風を直接当てて、ぐしょぐしょに汗をかきながら脱水状態で6時間ドライブした」
「どうやって道路をしっかり見ていられたのか記憶も定かじゃない。ワイルドな体験だった。会場に着いたら、ちょっと走って体重を合わせようとした」
「こんな風に移動をするのは絶対お勧めできない。車のシートはその後3日はびっしょりだったし。車の窓を閉め忘れて、雨が降り込んできたかのようだった」
岡見勇信
「(2009年10月の)チェール・ソネン戦に向けて、米国に行く飛行機に搭乗するため、成田空港行きの電車に乗っていた時、パスポートが入ったサブバッグを電車の網棚に置き忘れて降りてしまった。試合当日まであと5日という日の出来事だった 」
「気付いてすぐに戻ったが、電車は次の場所に向けて出発してしまった。 駅員さんに事情を説明して、電車を確認してもらったがバッグは見つからなかった。途方に暮れ、このままではパスポートを紛失したことで試合が中止になる、と前代未聞の自分の犯したミスで絶望感に包まれた 」
「パスポート紛失が原因で試合がなくなったとファンに知られたら、もう外は歩けないと思った 」
「夜になり諦めかけていた時、母から連絡があった。駅員さんから連絡があり、バッグを預かっている、と。 急いで向かうと、それはあのバッグ!その中にパスポートが!一緒に入れていたゲーム機やiPodなどは盗まれていたが、パスポートだけは無事だった! そして1日遅れにはなったが、セコンドと米国で合流することができた 」
「チェール(ソネン)との試合には負けてしまったが、その試合をきっかけにチェールとの縁が生まれた。 チェールと共に練習したポートランドでの日々や現地の方々との出会いなど、チェールが与えてくれた素晴らしい経験は宝となった。 あのままパスポートが見つからなかったらチェールとの試合もなく、ポートランドに行くこともなかった」
「そう考えると今でも恐ろしい。今となっては笑い話だが、笑い話になって良かったと心底思う」
アミール・カーン(シンガポール)
「(トレーニングのために米国に)最初に行ったのは16歳の時で、運転免許を持っていなかった。シンガポールだと18歳からしか運転できないから」
「だから6ヶ月間自転車に乗っていた。ジムから大きな洗濯物袋をかついで移動していて、ホームレスのように見られていた」
「ジムに住んでいた。シャワーだってちゃんとした浴室がなかったから、ホースを使わないといけなかった。冬の時期はすごくく寒かった!」
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