【12/9大会】ガザリが「ONE Fight Night 17」に17歳で参戦するまで

Johan Ghazali Temirlan Bekmurzaev ONE Friday Fights 36 9 scaled

17歳になったばかりのジョハン・ガザリ(マレーシア / 米国)は、今年格闘技界で話題を集めたアスリートとなった。

ガザリは16歳で、毎週金曜日恒例のイベントシリーズ「ONE Friday Fights」に出場し、4勝0敗(3KO)という戦績を築き上げ、12月9日(土)の「ONE Fight Night 17: Kryklia vs. Roberts」に出場することになった。

その活躍ぶりから、すでに次なるONEフライ級ムエタイ世界チャンピオンのロッタン・ジットムアンノン(タイ)として期待する声も上がっている。

この記事では、タイ・バンコクのルンピニー・スタジアムで行われる試合を前に、ガザリのこれまでたどってきた道のりを紹介する。

スポーツ嫌いだった子供時代

ガザリはマレーシアの首都クアラルンプール近郊の行政首都プトラジャヤで、警察官の父親と母親、兄と弟と妹の6人家族の第2子として生まれた。

父親はインドネシア人と日本人とマレーシア人の血を引いており、母親は米国ニューメキシコ州出身。2人は父親が米オレゴン州に留学していた際にムエタイという共通の趣味を通じて出会い、ジムで愛を育み、そしてマレーシアに移り住んだ。

ガザリはONE編集部に自身の生まれ育った場所についてこう説明している。

「本当に自分の人生は最高だと思う。父はあちこち単身赴任をしたけれども、それ以外の家族は(クアラルンプール近郊のセランゴール州の町)カジャンに住んで、その後(同国ボルネオ島の)サラワク州に移った」

現在でこそ新進気鋭のファイターとしての評価を得ているが、ガザリは子供の頃はアスリートになることなど考えたこともなかったそうだ。

「正直に言うと、スポーツは大嫌いだった。走ったり外で遊んだりすることもなかった。オタクっぽい子供だったよ。学校ではそんな感じだった。学校以外でも怠け者だったし、のんびりしてばっかりだった」

ムエタイ好きの両親と

ガザリの両親は2人ともムエタイが大好きで、大会に出場したことも。しかし、子供たちには練習をするよう強いるようなことはなかった。

家庭の中では自然とムエタイに親しめる雰囲気があったものの、ガザリはある程度成長するまではそれほど熱心ではなかったようだ。

「子供の頃からムエタイは生活の一部だった。多分自分が歩き始めてすぐの頃、父と母がよくムエタイの大会に出ていたのを覚えている」

「父親はファイターで、母親もファイターだった。だからムエタイの動きや技を教えてくれた。けれども、10歳になるまではそんなに真面目に受け取らなかった。それまでは、遊び感覚で両親とジムに行っていた」

ガザリの両親にとって、子供たちが幼い頃は子育てや仕事が一番の優先事項だった。だが、サラワク州に一家が引っ越してからは、再びムエタイに取り組むチャンスがやってきた。

そしてある日、ガザリは母親に地元のジムに行ってみないかと誘われた。

「サラワク州に引っ越す前は、両親は忙しくて、毎日練習するなんてことはしてなかった。けれども引っ越した後、ムエタイのジムの前を車で通りかかったときに母にやってみない? って聞かれたんだ。それで『まあ、いいけど』って感じで答えた。他には特にやることもなかったしね」

「小さい頃は自信がなかったんだ。でもムエタイを通じて自信を付けられたし、目標も見つけた。最初のクラスを受けて、大好きになった。ムエタイには力を与えてもらったし、トレーニングも大好きだった」

本場の“洗礼”を乗り越えて

こうして両親とトレーニングをするようになり、250戦の試合経験があるベテランのコーチのクルー・アディーの指導を受けながら、ガザリはみるみると成長していった。“怠け者”の子供があっという間にファイターになったのだ。

当初は大会に出る気はなかったが、熱心になったことで自然にそうした成り行きになったという。

「最初は運動をして楽しむためだった。そして数ヶ月後に試合があって、コーチに出たいか、と尋ねられた。そうしたら自分が答える前に母がこう答えた。『あなたが戦いたいかどうかは関係ない。とにかく試合に出て』って」

「そして母は自分の名前を記入した。試合は全然出たくなかった。でも出場したらやみつきになった。そのとき10歳だった」

以来、ガザリは試合出場を重ねたが、すべてが順調ではなかった。17歳にして「ONE Fight Night」シリーズ参戦を遂げたガザリだが、最初から天才児だったわけではなく、その道中には困難もあった。

だが、他の選手ならあきらめるであっただろう状況に陥っても、それを乗り越えていく強さがあった。

「マレーシアでは負けたことはなかったが、タイの最初の数試合は全部負けた。毎月やつけられた。みんな現在の自分の成功は知っているかもしれないが、このとき毎回試合の後に泣いてたってことは知らないだろう。タイでの最初の試合から5試合目までは全敗だった」

「やめるということは頭になかった。やめるのは簡単なことだ。こんなに負けが続くのは腹正しかった。けれども、それをモチベーションにして、スーパーボン(シンハ・マウイン)のようなプロ選手を研究するようになった。スーパーボンも最初の7試合で負けたり順調ではなかったりしたようだ。だから、自分はまだ戦える、って思えたんだ」

「コーチは『経験を積めば大丈夫だ。一緒に頑張ろう』って言ってくれた。それでついにタイでの6試合目にして勝てたんだ」

ONE参戦「夢がかなった」

ついにタイでのスランプを脱したガザリは、さらなる自信を身に付けて進み続けた。

2022年は有名なトーナメントで優勝するなどして11勝1敗とし、地元での評判を高めていった。その結果、マレーシアで開催された登竜門大会「Road to ONE」に出場し、16歳にして「ONE Friday Fights」への出場権を獲得したのだ。

ガザリは当時を振り返ってこう話している。

「ONEチャンピオンシップは、競技を始めた頃からの目標だった。トーナメントに勝って、タイで経験を積んでそして、ONEに参戦するという計画を立てた」

「参戦できたときは達成感があったし、(初戦の)パデッスック(フェアテックス)戦でもあまり緊張もしなかった。自分がするべきことはわかっていたし、アピールできるような戦いをしなくては、と思っていた」

「(パデッスック戦では)16秒KOで勝ったが、自分もびっくりした。けれども、そこで終わりではなく、新しい道のりの始まりということもわかっていた」

デビュー当時は史上最年少のONEアスリートだったガザリだが、「ONE Friday Fights」では快進撃。強敵を相手にフィニッシュ勝利を3度挙げるなどして4連勝とし、そしてついに「ONE Fight Night」シリーズへの参戦を勝ち取った。

ここからはトップレベルの選手の間でしのぎをけずることになるが、ガザリは準備万端のようだ。

「ここまでの努力が報われた気がした。夢がかなって、すごく誇らしかった」

「戦うだけではなく、エキサイティングな試合をしたからこそ、こうした機会を得られたんだと思う。戦うということは、単に競うという以上のことだ。観客を楽しませないといけないし、実力も必要だ。だから自分はここまで来られたんだ」

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