【7/31大会】若きロッタン、大都市で出会った第2の父親
ONEチャンピオンシップでのキャリア最大の試合まで2週間を切った今、ONEフライ級ムエタイ世界王者ロッタン・ジットムアンノン(タイ)はジムでスキルを研ぎ澄ませている。
7月31日(金)にタイ・バンコクで開かれる無観客大会「ONE:NO SURRENDER」で、強打が持ち味のロッタンは、タイの同胞で長年のライバル、ペッダム・ペッティンディーアカデミーを相手に、防衛戦に臨む。
最近、ロッタンはバンコクを第二の故郷にしてきた。
だがほぼ10年前に、ムエタイでの活躍を期して、タイ南部パッタルン県から初めてバンコクに移り住んだ時は、まったく違った感覚だった。
「パッタルン県からバンコクに引っ越したときは泣いたよ」と現在22歳のロッタンは振り返る。「本当にホームシックだった。あんな人混みや渋滞は見たことがなかった」
800万人以上の人が住み、900万台以上の車やバイクが走り回る首都の喧騒の中では、のどかな地方出身の少年が圧倒されたのも無理はない。
「バンコクと自分の地元ではすべてがまったく異なっていた。すべてが新しかった」
- 【7/31大会】ペットモラコットとヨドサンクライ、練習を動画で公開
- 【7/31大会】シッティチャイ、スーパーボン戦「世界一を決める試合に」
- 【7/31大会】ペットモラコット、ヨドサンクライ戦「若さを生かして倒す」
だが辛い状況にもかかわらず、ロッタンは新しい環境に適応し、活躍することを決心した。
「自分が住む場所になじむ必要があった。生活、態度、すべてを調整する必要があった。家族と一緒に住んでいなかったから、大人になる方法を学ぶ必要があった」
幸いにもロッタンは、一人で背負う必要はなかった。
ムエタイの舞台で育てるためにロッタンをバンコクに連れて行った、フォーンという名の家族の友人が、新進気鋭の格闘家ロッタンのコーチとメンターとしての役割を果たしたのだ。
「振る舞い方やすべてを教えてくれて、おかげでより良い人間になることができた。成長して我慢強くなる方法を教えてくれた」
家の外では、フォーンはトレーニングを監督し、若き日のロッタンがバンコクのスタジアムを舞台に戦うのを支えた。
「試合の時には、彼がゲームプランを練るのを手伝ってくれた」
第2の父親フォーンを隣に置き、ロッタンは常に温かく世面倒をみてもらった。時には、バンコクを子ども時代の家のように感じさせる、南部スタイルの食事の準備までしてくれた。
「食べたいものは何でも、料理してくれた」
「彼は非常に素晴らしい料理人で、大いに甘やかしてもらった」
あらゆるサポートを受け、ロッタンはその才能を開花させ続けることができた。やがて、彼は、バンコクの市の境界のすぐ外にある、名門ジム「ジットムアンノンジム」のオーナー、故フアン氏に見出だされる。
フアン氏は、ロッタンが自身のジムに参加し、タイ最高のアスリートと競争するために必要なトレーニングを受けることを望んでいた。
常にロッタンにとっての最善を考えていたフォーンは、ジットムアンノンジムへの移籍が、ロッタンのキャリアの転機になると同意した。
「彼は行かせてくれた」とロッタンは懐かしそうに思い出す。
フォーンは先見の明があった。ジットムアンノンジムに加わった後、ロッタンは2016年に125ポンドで「MAX Muay Thai」のチャンピオンに、2017年に130ポンドでオムノーイスタジアム世界王者になり、さらに2018年と2019年の両方で、ラジャダムナンスタジアムの年間最優秀選手賞を獲得したのだ。
そして2019年8月の「ONE:DAWN OF HEROES」で、ジョナサン・ハガティー(英国)を破ってONEフライ級ムエタイ世界タイトルを獲得し、キャリアの新たな頂点に達した。
バンコクで苦しいスタートを切った後、ロッタンは確かに長い道のりを歩んできた。そして、ONE世界タイトル獲得から1年が経とうかという今、ロッタンはかつて圧倒された大都市バンコクで、大切なベルトを守る戦いに臨む。
しかし、将来どんなことを達成しようと、ロッタンは2番目の父親が伝えてくれた貴重な教えを決して忘れない。
「フォーンがいつも、とてもよく教えてくれたことを覚えている」
「トップにいようと底辺にいようと、助けてくれた人々に対し、恩知らずなことをしないように」