16歳でタイで初プロ試合、ロッキー・オグデンの思い出
若干20歳のロッキー・オグデン(オーストラリア)は、16歳の時、タイ・バンコクにある有名なラジャダムナンスタジアムで、50試合を経験するベテランを相手にプロデビューした。
ステップアップしてどんな試練にも挑戦したいというその意欲は、決してオグデンの心から消えなかった。ONEチャンピオンシップのデビュー戦で、ONEストロー級ムエタイ初代王座を賭けた戦いを巡り、サムエー・ガイヤーンハーダオ(タイ)と対戦した時、その意欲を再び見せた。
2020年2月の「ONE:KING OF THE JUNGLE」でのその試合では敗北を喫したものの、プロデビュー戦を少しでも見た人なら、オグデンが再び復活するに違いないとわかるだろう。
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オグデンはタイの首都での、プロデビュー戦の運命の夜を決して忘れない。
「5ラウンド制で戦った最初のムエタイの試合は、ラジャダムナンスタジアムだった。タイでの最初の試合の場所としてはクレイジーだった」
「そこに行ったのは初めてだった。1か月しかいなかったが、2週間くらい経った時にその試合のオファーをもらった。たった6試合しか経験がなかったのにラジャダムナンで戦えたのはすごいことだとわかった」
「非常に緊張していたし、ムエタイでは本当に経験不足だった。何を期待したらいいのか全然わからなかった。それが本当のところだった」
試合前の緊張と不安は多少あったが、オグデンは引き下がろうとは夢にも思わなかった。
その代わり、オグデンはコーチから貴重なアドバイスを受け、少しリラックスしてから、大きな舞台に備えた。
「スタジアムに着いた時、最高に緊張した。全ての伝説たちが戦った場所に自分が入っていこうとするというのは、とてもクレイジーな気持ちだった」
「コーチが自分を落ち着かせようとしていた。リングに入ればどこも同じだから、どこで戦っているのかを気にする必要はなく、ただの試合だと言われた。少し楽になった」
だが当時わずか16歳で、アマチュアで数試合しか経験のなかったオグデンにとって、この機会はまだ早すぎた。
オグデンはベストを尽くそうとしたが、経験不足は明らかだった。そして判定で破れたのだった。
「キャリアのごく初めの段階だった」
「経験が足らなかった。ムエタイの試合がどんなものかわかっていなかった。本当に何もない状態で臨み、50試合ほどの経験がある日本人選手と戦った」
「そこに足を踏み入れたとき、それら全てが現実のものになった。明るいライトと巨大なリング。クレイジーな雰囲気だった。戦い自体は悪い負けなどではなかったが、自分のスイッチを入れることができなかった。緊張していて、経験が浅くて、どうすればいいのか本当にわからなかった」
希望の光は、オグデンがムエタイの歴史が刻まれた場所で試合をする機会を得たことであり、戦い抜き、ムエタイ発祥の地で貴重な試合経験を得たことだった。
また、タイの首都での運命的な夜により、オグデンはいくつかもの貴重な教訓を学んだ。
「戦いそのものから、トレーナーの意見を聞く必要があると学んだ」
「彼らが行けと言ったら、リングに入って、行かなければいけない。怖がらないで、前に出て、コンビネーションを放つんだ」
「あまり待つな、というのは難しい問題だった。自分は待ちすぎて判定で負けたが、全体としてその経験は素晴らしかった。そこで戦うチャンスをもらえたのはとても素晴らしいものだったし、決して忘れられないものになった」
オグデンのコーチは、オグデンがその経験を忘れないようにした。
その夜遅く、コーチはオグデンに、失望したと伝えた。オグデンは次回はもっとコーチの言うことをよく聞き、同じ間違いを2度としないと誓った。
「トレーナーは戦いの後、少しお灸をすえてくれたが、それでやる気が出たと思う。きちんと受け止めることもできるし、泣いて家に帰ることもできる」
「自分は真剣に受け止め、2度と同じことは繰り返さないと自分に言い聞かせた。彼にもそう伝えた。そして試合に戻り、ノックアウトで9連勝した。自分のプライドを賭けて、もう2度とこんなことにはさせないと言い聞かせたから、だいぶ助けになった」
その後数年間で、オグデンはプロとして37勝5敗1分という記録を打ち立て、さらに世界プロムエタイ連盟(WPMF)ムエタイ世界チャンピオンになった。だがおそらくより重要なことは、それらが最大の舞台、ONEスーパーシリーズへの扉を開いてくれたことだろう。
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