リッチ・フランクリンの視点:日本の思い出を振り返る
「ONE: CENTURY 世紀」(10月13日、東京・両国国技館)のために東京に飛ぼうとしている今、これまでの東京開催のイベントの思い出を振り返ってみたいと思う。
これまでの「ONEウォリアーシリーズ(OWS、ONEの人材育成、発掘のための大会)」で、日本は4つのエピソードの舞台となった。とても美しい国で、尊敬と犠牲、規律、名誉といった伝統が強く根付いている。私自身も個人的に大切にしている価値観だ。
それに、日本ほど献身と鍛錬をもって格闘技に心から敬意を払っている国は、世界でも多くはない。
OWSのエピソードの収録では毎回、何か得るものがあるが、日本での撮影はどちらも意義深く思い出に残るものだった。
OWS初の日本人選手の一人、江藤公洋との収録はよく覚えている。興味深い対比が見られたエピソードとなった。公洋の格闘技のルーツはアメリカのフリースタイルレスリングで、私のルーツは沖縄の空手の流派の一つ、少林流だったからだ。私たちは日本で、それぞれ自分の格闘技のルーツと新たに向き合った。
収録で私たちは宮崎を訪れた。(江藤)公洋が高校生でありながらレスリングの日本チャンピオンに輝き名声を得た場所だ。彼にとっては、初期のトレーニングや、そこからOWS出場までの道のりを振り返るとても個人的な機会となった。
私がいつも心に抱いていた目標の一つは、いつか沖縄で少林流空手のトレーニングをすることだった。だが、総合格闘技の道を歩み始めて以来、その目標は保留になったままだった。そこで、この来日の機会を使ってようやく実現させることにした。
少林流空手では黒帯2段を持っているのだが、正直に思い返してみると、実際に道着を身に着けたのは大学時代以来だった。トレーニングで参加したのが少林流空手の創始者、長嶺将真の流れを直接汲んだ教室だったことは、この機会をいっそう特別に感じさせた。
教室の中にいるのは、ひどく非現実的な感覚だった。タイムマシンで過去に戻ったような感じだ。あっという間にトレーニングを始めたばかりの頃の自分がよみがえってきた。日々、ただ上達することだけを考えていたあの頃。将来どうなるかも、最終的に何を達成できるかも、ほとんど考えていなかった。
わざわざ言う必要もないだろうが、様々な感情に心を揺さぶられた。OWSでの最も忘れられない瞬間のひとつだ。
別のエピソードでは、澤田龍人を相撲と武道の道場に連れて行った。前述の収録のテーマが対比だったのと同じように、龍人との撮影もまた異なるサイズを並べてみるような体験だった。特に、相撲の道場では。
我々は、相撲の力士たちの巨体と(澤田)龍人を並べてみて、彼がどう反応するかを見たいと考えた。
自分で土俵に入り、一緒にトレーニングをしてみるまで、私自身、力士たちがどれほど大きいのかまったくわかっていなかった。身長は188cm近く、体重は200㎏くらいある男たちだ。人間としては信じられないほど巨大だ。私ですら、隣に立っていてその大きさを実感したし、龍人のような小柄な選手ならなおさらだ。
龍人には彼らのような体格はないかもしれないが、大きなハートがある。相撲の技の微妙なニュアンスのトレーニングで、その素晴らしさが発揮されたと思う。
何も知らずに見ると、相撲はとても基本的な動きのみの競技のように思える。巨体の男たちがぶつかり合い、相手を土俵の外に押し出そうとするだけなのだから。だが、正しい立ち位置や動きなど、実際にテクニックを学んでみて、我々は改めて相撲の奥深さを感じることになった。
相撲そのものは、やはりとてもシンプルな競技だ。だが、基本のテクニックを確実に自分のものにしなくては優れた力士にはなれない。相撲の力士が巻いている腰帯「mawashi(まわし)」をつかんだ体勢で繰り出せる技には限りがあるし、対戦相手の胸を押す、「oshitaoshi(押し倒し)」と呼ばれる技のバリエーションもそう多くない。
相撲の世界にはたくさんの守るべき規律がある。力士たちは厳しいルーティーンに従い、相撲部屋で共同生活をする。日々、同じことを反芻し、繰り返し続ける。そこには信じ難いほどの集中力と精神力が必要とされる。
武道の道場では、「tameshigiri」をさせてもらった。日本語で「試しに切る」という意味だ。壁には様々な型を示した紙が何枚か貼ってあり、私はすぐに、クラスの終わりまでには少なくとも「double cut(左右袈裟)」ができるようになりたいと目標を定めた。
その目標設定は半分はジョークだったのだが、実際、クラスが終わる頃には巻いた畳の左右袈裟斬りができるようになっていた。剣道、または相撲でも、本気で取り組めば、私はかなりいい線をいくのではないだろうか、と、言っても過言ではないだろう。
私がアスリートとして成功したのは、退屈で単調なトレーニングを敬遠しなかったからだ。他の人なら最終的に飽き飽きするかもしれないが、私にとってはやる気の源だった。日々の積み重ねによって、自分がどんどん上達し続けていくことが喜びだった。
私にとっては、そう感じる対象が格闘技だったのだ。振り返ってみれば、世界チャンピオンになるために、この労働意欲が限りなく力になったと感じる。
OWSの思い出がすべて新しい貴重な体験である必要はない。
時にはただ気分良く楽しい時間であることもある。藤沢彰博と有名な原宿のファッション地区でショッピングをした時のことはよく覚えている。
これもまた、対比がテーマになるのだが、(藤沢)彰博と私のファッションセンスの違いは強調してもしきれない。彰博は間違いなく流行に敏感なファッショニスタだ。自分のスタイルをうまく着こなしている。
私をよく知る人はみんな、私があまり服にこだわらないと知っているだろう。いつでも、アイロンのかかった清潔な白いTシャツとジーンズさえあれば満足だ。彰博とのファッションショーチャレンジでは、最終的に彼が私に豹柄のショーツと白い前開きのシャツを選んでくれた。
普段の生活でわずかでもそのコーディネートに近い服を着ている自分を想像するのは難しいので、私はとても場違いな気分になった。けれど、原宿をしばらく歩き回るうちに、自分が人目につく格好をしているとは感じなくなった。
原宿の人々は、お洒落をすることに抵抗がないし、これまで見た中でも最もユニークなセンスのファッションを着こなしている。ラッキーなことに、私も思うより簡単に、あっという間に人ごみに溶け込んだ。ご想像通り、それはなかなか面白い光景だった。
上述の3つの思い出はどれも、笑いと洞察に満ちた体験だった。自分の限界を試すこと、人が出会い、違いを認め、喜び合うこと。それこそが、OWSは特別な番組にしている。このような体験から得られるのは、思い出といつまでも続く友情だ。
日本に向かおうとしている今、今回の訪問ではどんな経験ができるかすでにワクワクしている。ストーリーを皆さんと分かち合うのが楽しみだ。
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