MMA引退表明のデメトリアス・ジョンソン、決断「かなり辛かった」
デメトリアス・ジョンソン(米国)は、日本時間9月7日(土)に行われた「ONE 168: Denver」で、MMAからの引退を正式に表明した。ONEフライ級MMA世界チャンピオンのまま、その輝かしいキャリアに終止符を打つことになる。
ONEのケージ「サークル」で行われたスピーチではジョンソンは家族やチーム、ファンに謝意を表明。引退については長年考えていたものの、2023年5月にアドリアーノ・モラエス(ブラジル)を破り、王座防衛に成功した後、はっきりと意識するようになったという。
ジョンソンはONEチャンピオンシップにこう話している。
「アドリアーノ(モラエス)と3度目の試合をして、記者会見をした後、引退するんだと思った。子供もいるし、歩きながら『ああ、これが自分の人生なのか? ここで終わりか?』と思った」
「そして『1年休んで、トレーニングを続けて、そして復帰したくなるか確かめてみよう』と思った。単に引退して帰宅をした際に『引退を取り消したい。また試合がしたい』なんて思いたくはなかった。そうして復帰して再び試合をするなんてしたくなかった」
「だから今年の新年の目標は、無理にでも試合をしないようにすることだった。頭や知性、カリスマ性、創造性を駆使して、お金を稼いで自分のブランドを築き上げないといけないんだ」
「自宅で座っていて『もう大丈夫だ』と思った。これは若者がやる競技だ。自分は38歳だ。子供や妻と一緒に過ごして、今こそがそのときだと感じたんだ」
長年取り組んできたことをやめるのは容易ではない。こうした気持ちに左右されて多くの格闘家が必要以上に長く現役に留まることもある。
だが、頭脳派ファイターとして知られているジョンソンは、引退についても同じく論理的なアプローチを取ることにした。
また、総合格闘技史上最も成功したフライ級アスリートであり、間違いなくこの競技の偉大な世界チャンピオンとして道を切り開いてきたものの、狙われる立場にはなりたくないという思いも明かしている。
「少しホッとした。自分の人生のこうしたページを終えたことはわかっていた。誤解しないでほしいが、まだ戦えると思っているから、寂しくなると思う。けれども、アスリートには『もういい、あまり長くやり続けたくない』と思うときがくるんだ」
「これまでやってきたことを楽しんで、立ち去りたい。多くの奴らと話したんだ。GSP(カナダの総合格闘家ジョルジュ・サンピエール)とも話した。彼は『いつだって次の対戦相手が出てくる』と言っていた。だから引退したんだって。ユライア・フェイバー(米国の総合格闘家)は『プロのアスリートで最高レベルで戦える時間は限られている』と話していた」
「だから、かなり辛かったけれど、やっと終わったとホッとしている」
「サークル」で謝意を表明でき「感謝」
デメトリアス・ジョンソンは謙虚な人柄で知られており、大々的にMMA引退を告知するつもりはなかったが、周囲からその価値があると説得された。
チャトリ・シットヨートンONE会長兼CEOはONEの殿堂を設立し、ジョンソンを初の殿堂入りの選手に選出する計画を明かした。ジョンソンの妻のデスティニーも、こうした栄誉と共に引退するのは支えてくれた人々への恩返しでもあると説得した。
ジョンソンはこう話している。
「自分としてはひっそりやろうと思っていたが、チャトリや妻と話して、『自分自身のことだけじゃない。ファンのためでもある』と言われた」
「このようなかたちで謝意を表明できてありがたく思っている。ONEチャンピオンシップとチャトリが用意してくれた一連の出来事は本当に素晴らしいものだった」
MMAでのレガシーを振り返ることができるようになったものの、ジョンソンは自己顕示欲から自身こそが史上最高のアスリートだと吹聴しているわけではない。
常に100パーセントの力を発揮して、正しい方法で取り組み、格闘技への情熱を原動力に活躍してきたことから、「史上最高」と呼ばれた人物として記憶されたいだけだという。
「自分のレガシーについて考えたことはない。自分はハードワーカーだ。総合格闘家としてやり遂げたことを踏まえるなら、仕事がしやすかったアスリートだったと言えると思う。薬物検査で引っかかったことはないし、米国アンチドーピング機関(USADA)が来るたびに、ちゃんとパスしていた」
「試合には必ず出場していた。だから、自分のことはハードワーカーで、素晴らしいアスリートで、素晴らしい学び手だったと言えると思う」